日本の城巡り「MARO参上」

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聚楽第(京都府)

天下人豊臣秀吉が威光を天下に示した京の拠点

 

豊臣秀吉が事実上政権を獲ると、天正14(1586)年に築城を始め翌年には完成したとされる聚楽第。大坂城と並び、秀吉の権勢を誇る大事業として進められたと伝わります。

本能寺の変(1582年)の後、天正11(1583)年に妙顕寺城を築き、京都の拠点としていましたが、以後は聚楽第に京都の拠点を移し、天正16(1588)年に後陽成天皇の行幸を成功させ、天下に秀吉の力を誇示することになります。

以後、秀吉の後を継ぎ、関白になった豊臣秀次が切腹処分を受け、廃城処分になる文禄4(1595)年まで京都の豊臣家の拠点として機能したとされます。

その規模は「第」つまり、館と名称されますが実態は相当の規模を誇る城郭だったといわれl、聚楽第を中心とした惣構えである、京都市中を巨大な土塁で囲んだ通称「御土居」と併せた一大城郭都市として君臨したと考えられています。

その聚楽第は現在の堀川通の堀川中立売交差点付近から西側にかけて広大な敷地面積であったと考えられるようです。
さきほどの交差点の少し北側に、陰陽師として名高い安倍晴明を祀る晴明神社がありますが、その付近には聚楽第の城下町として千利休の屋敷があったとされ、現在石碑が設置されています。(石碑は二つ目の鳥居脇)

堀川中立売交差点まで戻り、西側を進み大宮通りとの交差点。北側の左車線脇に東濠跡の説明が刻まれている「聚楽第碑」があります。ここから城域に入りますが本丸に位置する構造だったようです。
しばらく中立売通を西側へ進むと正親小学校がありますが、その東北脇に西濠跡である説明がある聚楽第の石碑があります。ここまでが本丸の横幅であったようです。北は一条通あたりまでが範囲で、その北側には北之丸があったとされます。

正親小学校西側の通り、裏門通をそのまま南側へ進み下長者通と交わる付近までが本丸の範囲だったと考えられるそうです。裏門通をそのまま南へ直進すると行き止まりになりますが、そこにある松林寺付近が南の濠跡とされ、現在もかなりの段差があることが目視で確認できます。
ここには解説板も設置されており、その通りを西へ向い2本目の道を北へ折れて、一つ目の道を越えた付近には2011年の大河ドラマの主人公、浅井3姉妹としても名高い江が2番目に嫁いだ豊臣秀勝の屋敷があったことを示す石碑が設置されています。

聚楽第は徹底的に破壊され、すでに建設中だった伏見城へ大半が移されたとされていますので、目だった遺構はありませんが、こられのように街中にいくつも石碑や解説板が設置されているのは嬉しいこと。文中に出てきた千利休屋敷碑よりさらに一本西側に入った猪熊通を南へ進み、一条通と交わると、それを西側に入りすぐ目の前にある電柱脇には2014年NHK大河ドラマの主人公だった黒田官兵衛こと如水の屋敷であったことを示す石碑も設置されています。
さらにそのまま西へ進み、続く交差点が黒門通になりますが、それを北へ進むと上杉景勝の屋敷跡碑があります。

聚楽第は完全に住宅地となっており、往時を偲ぶことは一見難しそうなのですが、このようにいたるところに石碑が設置されており、これらを探しながら散策すると楽しめると思います。
また同時に、恐らく濠跡であったであろうことを感じられる地形もいくつかありますので、住民の方を不快にさせないことを心がけながら、じっくりと城内を散策されることをオススメします。

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丸太町駅から聚楽第を目指すと途中にある土鍋欧風カレーの「近江屋清右衛門」さん。漬物屋さんが運営する有名店です。
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所在地

京都府京都市上京区中立売通浄福寺東付近

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,710円 所要時間 約2時間15分ほど
【京都市営烏丸線】京都駅~丸太町駅 料金 片道260円 所要時間 約7分ほど
【入館料】0円

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