天下分け目の天王山に築いた秀吉の居城
1582(天正10)年の「本能寺の変」で、主君織田信長を討った明智光秀を倒すため、中国地方に展開していた羽柴秀吉軍が上方に電光石火の速さで帰還。光秀軍と衝突した歴史上にも有名な「天王山の戦い(山崎合戦)」。その、天王山の山頂には秀吉が大阪城へ移るまでの居城とした山崎城がありました。
京都と大阪の府境に位置し、西国街道の抑えなどの面からも古来から要所とされ、秀吉と光秀の一戦の以前より、応仁の乱の時代などから、幾度か戦場として利用された場所だったようです。
ともかく1582年の戦いでは秀吉軍の圧勝に終わり、敗れた光秀は近くの勝竜寺城へ退却。その後、近江の坂本城へ逃亡する際に、京都伏見の小栗栖で、地元の農民らによって討ち取られたとされています。
戦後、秀吉は清洲城で行われた清洲会議で、長浜城を柴田勝家に譲り、新たに京都近くに城を構えたかった秀吉が目をつけ、大阪に移動するまでの間、大規模な城郭を築いたとされます。しかし、その後間もなく大阪城が築城され、この山崎城は廃城になったと考えられています。
現在、JR山崎駅を出て北側に移動するとすぐに「天王山登り口」の石碑があり、あとは「宝積寺」に向かって歩くだけ。
ただ入り口から斜度のきつい坂道が待っているので、本格的な登山スタイルは必要ないですが、最低限の運動しやすい格好が必要な場所。
宝積寺境内に「天王山山頂へ」の道しるべが出ているので、それに従えばあとはひたすら登るのみ。
山に入りほどなく石垣の階段が登場し山頂まで断続的に登場しますが、これも往時の遺構でしょうか?間違いなく近世のものではないようですが・・・
途中には「山崎合戦」の記念碑や、幕末の蛤御門の変で敗れた長州藩の真木和泉らが、自刃した地でもあり「十七烈士の墓」などの歴史遺産が残ります。
重要文化財が道中に多く、飽きることくなく登山ができますが、本丸付近は思った以上には遺構が少ないと感じました。(これは個人差あると思いますが。)
このお城の楽しみ方は、遺構よりやはり歴史背景を楽しむ場所だと思います。いろいろなサイトで、ここのお城の評価は高いですが、正直登山の達成感は得られますが、思ったほどは遺構が明瞭でない(案外説明不足な場所です・・・)ため、城跡散策とすれば、やや消化不良気味を感じた場所。
しかし司馬遼太郎先生の「国盗物語」では斎藤道三が油売りをしていた場所も近くとされ、歴史深い街。京都市中心部からも近いのでお手軽に歴史散策が楽しめるエリアです。
近くのオススメすぽっと
JR山崎駅近くの「キッチンカフェ まーがれっと」さん。普通の民家の一階を店舗にしているので決して広くなく、店主の女性の方お一人で切り盛りされているので、急ぎのランチには向かないですが、何せここの「京風カレー」絶品です!当サイトでもいろいろ「カレー屋さん」は取り上げてきていますが、間違いなく上位3本に入るお味。女性の方にオススメですが、男性もぜひここは近くを通られる機会あればぜひ!
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所在地
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR在来線】JR東海道本線 京都駅~山崎駅 料金 片道210円 所要時間 約14分ほど
【入館料】0円