信長より細川家が統治を任された丹後の拠点
宮津城はもともと、丹後守護だった一色氏が戦国時代に築城したと日本城郭大系にあります。しかし、この一色氏は付近の八幡山城に本拠を構えていたので、当時の宮津城は支城もしくは、平時の居館といったものだったと思われます。
大きく歴史が動いたのは天正8(1580)年、2年前からの丹後攻めの功績で細川藤孝、忠興が丹後に入ります。そして先の八幡山城から平城である宮津へ本拠を動かしたとされます。
今では京都北部の中心的都市は舞鶴市ですが、当時はここ宮津が中心。舞鶴市の田辺城は細川藤孝の隠居城で、細川ガラシャの夫としても有名な忠興は宮津城にありました。
関ヶ原の戦い(1600年)では東軍についた細川家は、留守を守る藤孝は宮津城でなく田辺城で西軍を迎え撃ちました。
戦後、細川家は豊前へと加増されて移封。代わって京極家が丹後へ入ります。京極高広は天守閣を設けず、8箇所に櫓を設置したとされています。
その後、永井、奥平、青山、本荘(松平)と受け継がれ明治維新を迎えました。
現在は宮津小学校に太鼓門が移築されています。また大手川の石垣は当時の遺構だとされます。
他にも武田病院には当時の石垣の一部が置かれています。
遺構ではありませんが、駅近くのJAの前には三の丸の解説板が設置されています。
決して遺構が多いわけではありませんが、これら、往時の城域を散策しながら名残を見つけていくのも楽しいです。
また城域には丹後守護の一色義清が自刃した地とされる一色稲荷もあります。こちらも太鼓門のある宮津小学校からも近く必見のスポットです。
宮津市と言えば天の橋立が有名ですが、戦国時代の史跡も多い、城郭・戦国歴史ファン必見の街ですよ!
見宮津城は市街地化されているため、季節、天候を問わず手軽に訪問することが可能です。
所在地
京都府宮津市鶴賀
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道14,110円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR山陰線】有料特急(まいづる) 京都駅~西舞鶴駅 料金 片道3,350円 所要時間 約1時間30分ほど
【京都丹後鉄道線】西舞鶴駅~宮津駅 料金 片道570円 所要時間 約30分ほど
【入館料】無料