キリシタン大名・内藤ジョアンゆかりの丹波三大城郭の一つ
亀岡と園部の間にあるJR八木駅から見える山に築かれた八木城は丹波三大城郭の一つに数えられるこの地域きっての戦国時代の名城跡です。
日本城郭大系によると永享3(1432)年頃に丹波守護代の内藤氏が築城したとされます。この内藤氏で有名なのがキリシタン大名の内藤ジョアン(忠俊)。登山口のすぐ近くに春日神社がありますが、その近くに内藤ジョアンの記念碑(十字架の形をした)が建っています。
大系によると、歴史背景はあまり詳細に記載されておらず、天文22(1553)年に兵庫県の八上城(同じ丹波三大城郭の一つ)の波多野氏に攻められ落城。
この際に城主・内藤国貞は戦死し、その翌年、松永久秀の弟・長頼が八木城に入りますが、この長頼と、内藤国貞の娘の間に産まれたのが内藤ジョアンだとされます。
三好氏についていた新生内藤氏ですが、長頼がこれも丹波三大城郭の一つである兵庫の黒井城の赤井直正に永禄8(1565)年に討ち取られ、若きジョアンが内藤氏を継ぎますが、三好氏自体も弱体化し、その後に畿内を治めた織田信長とは敵対化してしまい、天正(1579)7年に明智光秀に攻められ落城したとされますが、その際にジョアンは八木城にはおらず、ジョアンはその後、小西行長に仕え、徳川家康政権になった際に、キリシタン追放令によって慶長19(1614)年に高山右近らと共に、フィリピンのマニラに追放。その後、マニラでその生涯を閉じたと伝わります。
八木城は冒頭で登場した、春日神社から京都縦貫自動車道を城門を意識したようなトンネルをくぐりって越え、目の前の登山口から入城します。
ハイキングコースだとか、標も多い整備された山道とよく見かけますが、はっきり言って、かなり歩きにくい荒れた山道です。比高にして220メートルほどの山に、1合目から9合目までの標識があり、6合目付近で八木城の対面城が登場します。
本丸付近には石垣(石積)の跡も散在し、その本丸跡は天守台とも見える形が残されています。大系ではこれを住居スペースとしての主殿もしくは物見櫓だと説明しています。
冒頭で触れた京都縦貫自動車道を「くぐった」位置から登山を始めると、本丸に入ると「左が本丸」「右へ行けば妙見宮」の標識が出てきます。この右側が二ノ丸、三ノ丸にあたり、参道を進むと大きな堀切を確認することができます。
八木城は対面所なども酷く荒れており、その全容を分かりやすく見学することはできませんが、丹波三大城郭とまで言われるこの城は一度は訪問する価値あり!
傾斜もきつく攻めるに難しく、守りに都合のよい典型的な中世・戦国期の山城であることがよく伝わります。また管理人のようにクルマを持たず、公共交通機関で城巡りをする城ファンにも八木駅から登場口までは10分~20分程度ですので非常にアクセスも便利な城です。
ただし丹波地方の山深い城跡。夏場などは遺構も確認しずらいでしょうし、毒蛇などの危険も多いと思いますので、管理人同様、冬場(管理人は3月下旬でしたが)の訪問をオススメします。
所在地
京都府南丹市八木町八木
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR在来線】山陰線 京都駅~八木駅 料金 片道500円 所要時間 約30分ほど
【入館料】無料