水軍九鬼氏分家が幕末まで統治した綾部藩の陣屋
綾部陣屋は、戦国時代に水軍を率い一躍名を馳せた、志摩の九鬼氏の末裔が幕末まで綾部藩を統治するための本拠とした陣屋です。
九鬼氏は関ヶ原の戦いで、九鬼嘉隆が西軍に、その子・守隆が東軍につき家名存続が成功しましたが、守隆の死後、家督相続争いが起き、志摩を離れ久隆が宗家となって、兵庫県三田に三田陣屋を構え、ここ綾部に分家として隆季(たかすえ)が2万石で綾部藩を統治することになります。
三田陣屋のページでもう少し詳細を記載していますが、宗家より、ここ綾部家の方が優遇され、宗家には城主格は認められませんでしたが、綾部家の方には城主格が認められていたようです。
当初の綾部陣屋は慶安3(1650)年に焼失してしまったため、現在の位置へ翌年に移動。
先ほど触れたとおり、綾部九鬼氏は「城主」であることが認められていたので、別名・上野城と呼ばれていたと日本城郭大系には記されています。
現在の綾部陣屋跡ですが、本丸部分は宗教団体である大本(おおもと)発祥の地として教団施設が建設されています。
大本と言えば同じ京都の亀岡市にある、亀山城も聖地とされていますが、城跡を聖地にしたには何か理由などがあるのでしょうか。
亀山城は見学などさせて頂けますが、この綾部陣屋跡の方は未確認。
というのも、京都から舞鶴へ普通列車で訪問する最中、綾部で45分ほど待ち時間があったため、急いで綾部陣屋付近へ訪問。時間に制約があったため、大手門付近までしかたどり着けていません。
そのため多くは未確認ですが、恐らく周辺は住宅地として開発されているので、遺構は残されていないと思います。
地形は高台になっており、往時は綾部市街を望むに相応しい地形であったのだろうと推測できます。
2013年10月時点ではまだ管理人は未訪門ですが、同じ綾部市には山家陣屋、山家城。
また足利高氏出生の地とも言われますし、その高氏が生まれたのは、関東で城めぐりをされている方は、お馴染みの扇谷(おうぎがやつ)上杉氏発祥の地とされる、上杉庄であるとも言われます。
このように、人口3万人ほどの小さな街で、京都市からも距離はありますが、歴史ファンのロマンをくすぐる史跡を多く抱えた街のため、管理人も再度時間をとって今度は綾部を目的地に再訪問してみたいと思います。
所在地
京都府綾部市上野町上野(大手門跡の案内板)
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR山陰線】有料特急(きのさき) 京都駅~綾部駅 料金 片道2,220円 所要時間 約1時間5分ほど
【入館料】無料