ついに遺構の一部が発見された初期伏見城
2015年6月20日、管理人の故郷京都市伏見区がちょっとしたブームになりました。
伏見城は二期に分けられると考えられていて、その一期目にあたる指月(しづき)伏見城と言われる時代の遺構が見つかり、その現地説明が行われたためでした。
日本城郭大系によれば築城されたのは文禄元(1592)年、天下人だった豊臣秀吉の新たな隠居屋敷として造営したのが始まりとされます。
着手後、すぐに屋敷と呼ぶよりは城と呼ぶに相応しい構えに変わっていき、文禄3年(1594年)には淀古城の天守、櫓を移築したとされています。
その後も聚楽第に解体や、支城として向島城の築城など京都、伏見周辺の整備と合わせ拡張された指月伏見城でしたが、慶長元(1596)年、大震災が発生し、わずか4年しか経っていない指月伏見城は倒壊。その後、現在の伏見城の場所へ再建されたとされています。
冒頭で触れた二期の伏見城というのは、この前期の指月城時代と、後期の木幡城を指します。
今回発見されたのは本丸付近とのことですが、恐らく本丸西側にあたるのではないかと個人的に考えています。地形的には東側の合同宿舎付近の方が高台になっているためです。
今回のことが発表されるまで伏見城に指月時代と木幡時代があることは知っていましたが、当サイトではあえて二つの城として取り扱ってはきませんでした、場所も大体分かってはいましたが、目だった遺構や目印になるもの(石碑等)がなかったためです。
このあたりは故郷ですので、よく地形はわかっていますが、今回の現地説明会が行われた場所の南側には泰長老公園があります。管理人もよく子どもの頃野球などを楽しんだ馴染み深い公園です。
ここも南側、西側は絶壁となっている他、先に触れた合同宿舎からJR桃山駅に向う際には明らかに人工的に手を加えたと思えるような急勾配が存在します。
他にも挙げればきりがないくらい思い当たる節のある場所なのですが、今回こうやって正式に「指月城」として遺構の説明会が行われたのは地元出身の城ファンとして嬉しい限り。
想像以上の長蛇の列になり、遺構の数々を堪能するというわけにも、また説明を行っていただいた方も「想定外の人が集まったため質疑応答もできません」と申し訳なさそうにお話されていました。
帰りにスタッフの方に今後を尋ねると6月20日のみ一般公開で、その後は埋め戻しをされるそうです。再びその姿を地中に戻すことになる指月伏見城ですが、できる事なら石碑や解説板などを付近には建てて欲しいなぁと切に願っています。
またとない貴重な地元の遺構を見学することができて本当に幸いだったと思います。
今後見学される方もまた少なくなるであろう指月城ですが、伏見城見学の際にフラっと散策されてみてください。
指月城の大半は完全に都市化・宅地化されていますので季節、天候を問わずに気軽に訪問することが可能です。
近くのオススメすぽっと
伏見城の最寄駅のひとつ、近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山両駅の近くにあるラーメン「大黒ラーメン」さん。昔からある食堂風の店舗。スープは豚骨しょうゆ系の、京都に多いタイプのラーメン。昔から変わらない味に加えて、一度食べると次回から使える100円割引券が頂けるので、並470円が370円で楽しめる、コスパも抜群のラーメン屋さんです。
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大手筋商店街の坂を下った場所に近い「鳥せい本店」さんは鳥料理を昼も夜も楽しめる老舗料理屋さん。ですが、気軽に入れる雰囲気のお店で、ランチはリーズナブルに鳥料理を楽しめます。
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所在地
京都府京都市伏見区桃山町泰長老
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,910円 所要時間 約2時間10分ほど
【近鉄】京都駅~桃山御陵前駅(急行停車駅) 料金 片道260円 所要時間 約10分ほど
【入館料】0円