本能寺の変の際、光秀自身が進んだ街道脇にあった山城跡
保津城はJR亀岡駅の北東に位置する山にありました。本能寺の変の際には、明智光秀が軍を三隊に分け、その内、光秀自身が指揮した隊が本能寺へ向かったとされる「明智越え」の入り口近辺にあり、その明智越えを目指して歩いていけば迷うこともないと思います。
明智越えに入り、数分程度歩くかどうかという位置で右手にはっきりそれと分かる堀跡が出現。そして長い土橋の手前には「保津城」の標識が設置されています。
この堀のあたりには、これもそれとすぐに分かる郭跡が見て取れます。
土橋を渡りきり、細い山道を登っていくとさらに堀跡と、そこから尾根筋に出てさらに郭跡が連なると調べてはいましたが、途中まで登っていき、何かイヤな感じがしたのでムリせず、山頂までは登ることを断念しました。
いずれにしても夏季は訪問を避けて、また足元も滑らない山歩き用の靴を履いての訪問をオススメしておきます。
さて保津城の歴史ですが、日本城郭大系にも明確な築城時期や城主などは明記されていません。南北朝の時代から存在していたと考えられるそうです。
資料として、「遠山家文書」の中に「中津河小次郎秀家申丹波国所々至軍忠事」に観応3(1352)年、5月14日に保津城を攻め落としたと書かれ、丹波守護代・荻野朝忠が「承候了」と花押を与えているとのみ記されています。
古来、この明智越えは京都と丹波を結ぶ重要な道だったと考えられ、その丹波側の入り口を抑える保津城は重要な役割を果たしていたものだと考えられます。
いつまでこの城が存在したのか、すぐ近くに明智光秀の丹波での重要拠点だった亀山城があるので、織田信長勢力に統治されてからは、何がしかの街道の押さえとして光秀が施設を置いた可能性はあると思います。
この亀岡市は古城跡とされる場所がとても多く、文中で紹介した亀山城はJR亀岡駅を挟んで丁度正反対の位置にあるため、こちらも合せて訪問したいところ。また亀岡駅から保津城に来る途中に亀山城の新御殿の玄関が移築保存されていますので、ぜひ合せて訪問なさってみてください。
所在地
京都府亀岡市保津町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR在来線】山陰線 京都駅~亀岡駅(快速停車駅) 料金 片道400円 所要時間 約20分ほど
【入館料】無料