日本の城巡り「MARO参上」

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難波宮(大阪府)

史跡公園として整備された古代の都城跡

 

大阪城の南側に広がる難波宮(なにわのみや)跡公園を中心として存在したとされる古代の都・難波宮は日本城郭大系では「都城」として紹介されており、当サイトではどのように扱うか悩んだのですが、「城跡」として紹介することにしました。

現在は史跡公園として整備され、大極殿の土台などが復元されています。歴史上、難波宮は大きく分けて二度存在しており、前期難波宮は大化元(645)年に孝徳天皇によって遷都されてきました。その後、10年ほどで奈良県の飛鳥宮へ遷都されますが、白村江の戦い(663年)、壬申の乱(672年)など動乱が続いた時代でしたが、その壬申の乱で、大友皇子(天智天皇の子で弘文天皇)に対し、氾濫を起こした天武天皇(天智天皇の兄弟)が勝利し、その天武天皇が天武8(679)年に再度難波宮に羅城を築き、防備を固めたとされます(複都制で飛鳥宮と併用)。

その後、持統天皇が奈良の藤原京に遷都しますが、聖武天皇が神亀3(726)年に奈良の平城京の副都として再整備され、天平15(744)年に皇都として定められたと、現地解説板にあり、その後の延暦3(784)年に京都の長岡京へ遷都されると、大極殿などの建物が移され、難波宮は廃止となっていったようです。

このように、平安京が作られ、長く都が京都に安定する以前の時代、近畿を中心に都が転々とした時代、中心的な役割を何度か担った難波宮ですが、冒頭で触れた大阪城のような知名度もなく、この史跡公園には観光で訪れる人も少ない現状です。

その後、この地域は戦国期には石山本願寺が勢力を伸ばし、織田信長と激戦を広げ、その跡地に豊臣秀吉、またその没後には徳川氏が現在の大阪城を築くなど、大きく地形も変形していることと思いますし、また現在の周辺環境からとても、古代の歴史を偲ぶことも難しいのですが、せっかくですし、大阪城訪問の際には一度足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

近くのオススメすぽっと

石山本願寺のあった大阪城の最寄り駅の一つ、地下鉄「谷町四丁目」駅近くにある「ステレオ(stereo)」さんはオシャレな内装の洋食屋さん。人気店で行列もできるお店です。訪問時はミンチカツを頂きましたがジューシーで本格的なお味。お値段もさすが大阪。リーズナブルに頂けるオススメランチ。
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大阪城から西へ2筋移動しますが、お好み焼き「ありがと屋」さんはとっても安くてオススメです。お味ももちろん「おいしい粉モン」です。特に夜に城めぐりの後の打ち上げなどをしたい場合、本当にリーズナブルなのでオススメ!仕事帰りに男3人で寄りましたがなんと合わせて7000円でした!
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所在地

大阪府大阪市中央区法円坂1

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅 料金 片道14,250円 所要時間 約2時間26分ほど
【大阪市営御堂筋線・中央線】新大阪駅~本町駅(乗換え)~谷町四丁目 料金 片道230円 所要時間 約18分ほど
【入館料】0円

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