日本の城巡り「MARO参上」

ホーム > 関西以西の城 > 大阪府の城一覧 > 三箇城(大阪府)

三箇城(大阪府)

キリシタンの拠点として栄華を誇った町の城跡

 

三箇(さんが)城は飯盛山城らと同じJR片町線の野崎駅が最寄の城跡です。

日本城郭大系ではなく、日本城郭全集に詳細の歴史が記されています。

それによると、築城時期は明記さrていませんが、先の飯盛山城を畠山氏、三好氏が構えた際に、その支城として機能したとされます。
今でこそ大阪ベッドタウンの住宅地の中になりますが、当時は深野池という池があり、その中で最も大きな大箇島に築かれた城であったそうです。

永禄5(1562)年には畠山氏の武将・宮崎隠岐守によって、手勢の少なかった三好方の三箇城は落城させられたとあります。

その後、どうなったのかが未掲載なのですが、どうやら二年後の永禄7(1564)年には再び、三好方の武将・三箇殿(白井伯耆守)がこの城を治めていたとされます。

この三箇殿は熱心なキリシタンで、サンチョス(現地解説板ではサンチョ)という洗礼名を持っていたそうです。飯盛山城の支城といえ、このキリシタンということが重要で、京都と堺の中間にあった三箇は、キリスト教をきっかけに全盛期を迎えたとあります。
現地解説板にもありますが、この頃、壮大な教会が建てられ、これは畿内一の規模であったとされます。

間もなく織田信長が上洛。畿内も信長によって統一されていく中、当初は信長と良好な関係にあった白井氏も、徐々に反信長勢力に。命は許されたものの、一旦三箇の地を離れることになります。

天正10(1582)年、「本能寺の変」で信長が明智光秀に敗れ横死すると、光秀はこの白井氏を味方に引き連れるも、「山崎合戦で光秀が敗れ、京都の小栗栖で討ち取られると、白井氏も、奈良の郡山にいた筒井氏を頼り落ち延びますが、ほどなく羽柴(後の豊臣)秀吉に見つかり斬られ、本能寺の近くに晒されたとあります。

現在は、菅原神社となり、その外側に石碑と、鳥居脇にある由緒書の中に「三箇城」の名前を認めるにすぎません。遺構は残念ながら残っておりません。

往時の地形も大きく改変されていると思いますので、戦国時代にキリシタンの一大拠点として栄えた名残すら感じることが難しい城跡となっています。

この三箇城は、文中で何度か登場しました飯盛山城訪問に合せて訪問されることをオススメします。
飯盛山城とは異なり、今では街中の神社ですので、季節・天候を問わずに三箇城自体は手軽に訪問することができます。

近くのオススメすぽっと

JR野崎駅前の商店街にある中華料理屋「熊猫」さんは、リーズナブルでボリュームたっぷりの中華定食屋さん。唐揚の日替わり650円で大ぶりでジューシーな唐揚がどっしりと入って満足しました。中国人の店員さんもとっても親切。内装も清潔で気持ちよく食事ができました。
食べログの紹介ページはこちら

所在地

大阪府大東市三箇

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅(乗換え) 料金 片道14,450円 所要時間 約2時間25分ほど
【JR在来線】東海道線 新大阪駅~環状線 大阪駅(乗換え)~片町線 京橋駅(乗換え)~野崎駅 料金 片道300円 所要時間 約40分ほど
【入館料】0円

写真ギャラリー