楠木正成一族に攻撃され落城した城跡
南海高野線「北野田駅」から西へ2キロほど歩いた場所にある東陶器小学校の南隣の児童公園が城跡で、奥のフェンスで囲まれた一帯に土塁を確認することができます。
日本城郭大系によると築城したのは、北条氏の家臣で南北朝時代の武将・陶器左衛門尉とされます。
この城自体が歴史の表舞台に立ったことはないですが、後にこの城を有名にしたのは名将・楠木正成一族が正慶2(元弘3、1333 ※正慶(しょうき)は北朝の元号)年に河内・和泉の北条氏掃討作戦の一環として、陶器城も攻撃され落城。陶器氏も滅亡したとされます。
その後も南北朝期に南朝方の岸和田氏が攻めた歴史があるようですが、東京地図出版著「城巡礼 盛者必衰 大阪48ヵ所めぐり」によれば、その後室町以後はどんな歴史があったのか不詳のようです。
時代は流れ、関ヶ原の戦いで、兄弟で袂を分かち徳川方についた小出秀家がこの地に領土を得、陣屋を構えていたとされ日本城郭大系では「陶器藩陣屋」として紹介されています。こちらは豊臣ゆかりの武家の血ということで、一時領土を没収されるなどの措置を受けながら明治維新まで小出氏が統治しながら陣屋も存在したようです。
冒頭で触れた土塁などの遺構は、現地の解説板によると戦国期に改修され今に残るようなストーリーですが、恐らくは江戸期の陣屋の防御施設として当然改修はされているものだと思います。
残念ながらフェンスが高く「網の目」越に土塁は確認することしかできません。必見というほどの見所は少ないのですが、周辺は住宅地として開発され時期や天候に左右されずに訪問できますので、近くに寄る機会があれば一度「寄り道」されてみてはいかがでしょうか。
所在地
大阪府堺市中区陶器北
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅(乗換え) 料金 片道14,250円 所要時間 約2時間26分ほど
【大阪市営御堂筋線】新大阪駅~なかもず駅(乗換え) 料金 片道360円 所要時間 約38分ほど
【南海高野線】中百舌鳥駅~北野田駅 料金 片道200円 所要時間 約8分ほど
【入館料】0円