今川、武田に仕えた岡部氏が幕末まで治めた城跡
岸和田城は管理人が城巡りをはじめた頃に(恐らく2010年のゴールデンウィーク)行った以来でしたので、2015年2月に再訪問してきました。
日本城郭大系によると、岸和田城は元は楠木正成一族の和田高家らがこの一帯を統治し、その際に築いた城塞だと考えれられています。しかし現在の岸和田城としては応永年間(1394~1428)に和泉守護の山名氏清の家臣、信濃泰義が入り、この人物が築城者であると記されています。
その後、細川頼長(この人物の流れを汲むのが、戦国時代活躍した細川幽斎とされます)が入り、しばらく細川氏の支配を受けた時期もあったようです。
細川氏の後は三好義賢・安宅冬康・十河一存の兄弟(姓は異なりますが三好一族)が治めたようですが、永禄11(1568)年に織田信長が上洛する頃には、岸和田城も信長に恭順した松浦孫五郎らが押さえていたとされます。
織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた翌年の天正11(1583)には豊臣秀吉が大阪城を築城するために、岸和田には中村一氏を配置。この頃には根来・雑賀の一揆衆との間に岸和田合戦も行われました。
徳川幕府時代になっても松平信吉など様々な武将が城主を務めましたが寛永17(1640)年に岡部宣勝が高槻城から移ってくると、そのまま幕末まで岡部氏の統治が続きました。
この岡部氏は戦国時代には駿河の今川氏の家臣だった一族で、今川義元が織田信長に桶狭間で討たれると、甲州の武田信玄に仕え、その後徳川氏に仕えた歴史があるようです。
現在、白亜の天守閣が印象的ですが、この天守閣は復興天守。中は鉄筋コンクリートの資料館です。展望台からは海が近く、かつては海上交通などの面でも重要な役割を果たした城であることは想像に難しくありません。
天守閣のある本丸跡だけでも石垣や堀などの見所はありますが、街中にも岸和田城の遺構が随所に残されています。
本丸近くの図書館はかつての三の丸で、ここにも当時の石垣が残されていました。また海岸側には防潮石垣などが残ります。
当然ですが5年前の初訪問よりは様々な遺構を楽しむことができました。天守閣に関しては休業曜日がありますので、公式サイトで事前に確認をお願いします。
岸和田市公式サイトへ
市街地の平城ですので、季節・天候を問わずに訪問可能です。大阪市中心部からも交通アクセスが便利な城ですので、休日に手軽に歴史散策を楽しめる城跡です。
近くのオススメすぽっと
岸和田駅ほぼ前のカレー専門店「唯我独尊」さん。中2病的な名前ですが(笑)メニューも内装も開放的でとてもオシャレなお店。ルーは欧風タイプ。自家製ソーセージのカレーは食べ応え十分。オススメのお店です!
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所在地
大阪府岸和田市岸城町9-1
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅 料金 片道14,450円 所要時間 約2時間26分ほど
【大阪市営御堂筋線】新大阪駅~なんば駅 料金 片道280円 所要時間 約15分ほど
【南海線】難波駅~岸和田駅(急行停車駅) 料金 片道490円 所要時間 約26分ほど
【入館料】300円(中学生以下無料)