日本の城巡り「MARO参上」

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小山田城(東京都)

戦国末期、甲斐武田氏滅亡に大きく関与した小山田氏発祥の地

 

小田急の唐木田駅を降りて南側へ。中島屋敷島崎屋敷を通り越し、アスファルト舗装された道路を2キロほど進んだ集落に大泉寺という大きな寺があり、ここの裏山が小山田城跡となっています。

小山田城は承安元(1171)年に小山田有重によって築城されたとされ、近くの小野路城も同時期に築城。そちらには二郎重義が在城。小山田城の支城だったと考えられます。
小山田氏は桓武平氏の流れを汲む、秩父氏の一族と考えられ後に、今の山梨県大月市に岩殿山城を構え(当時の本拠地は今の都留市と考えられています)、甲斐武田氏に従った小山田信茂らの家祖がこの小山田有重とされます。

元久2(1205)年に有重の長男・稲毛重成が同族の畠山重忠を讒訴(ざんそ:陥れようとした)した罪で殺され、一度小山田氏は没落します。

南北朝の頃には、重成の弟・行重の末裔とされる小山田太郎高家が新田義貞の配下として活躍。
今の神戸にある湊川神社付近で、足利尊氏らと戦った湊川合戦で戦死した話が、太平記にも記されているようです。

小山田城のこの頃の歴史はよくわかってないようですが、室町時代から戦国時代初期にかけて関東で名前を上げる、関東管領山内上杉氏の同族・扇谷上杉氏が再び小山田城を築城。山内上杉氏の重臣ながら、主家と対立。古河公方・足利成氏と組んで関東各地で争った「長尾景春の乱(1476~80)」で長尾氏に落城させられたようです。

乱自体は扇谷上杉氏の重臣で築城の名手・太田道灌の活躍で治まりましたが、小山田城に太田道灌がかかわっていたかも不明のようです。

永禄2(1559)年には後北条氏の「小田原衆所領役帳」に「他国衆(外様)」筆頭として小山田弥三郎の名前があり、小山田領に影響をもっていたことが分かっています。
この人物は信茂のことと考えられ、この役帳が記された頃は、後に後北条軍と直接刃を交えた信茂も、後北条氏と良い関係があったと考えられています。

信茂は後に天文9(1540)年に、武田勝頼を裏切ったことが、織田信長に咎められ殺され、これによって嫡流は歴史から姿を消すことになります(以降も嫡流を名乗る氏はいくつかあるようです)。

さて現在の小山田城ですが、大泉寺は恐らく平時の居館跡と思われます。
ここも参道入り口から見ると高台の位置にあることが分かります。またいつの時代のものか不明ですが、土塁のような痕跡も見当たります。

そして裏山ですが、ここは残念ながらいくつか火災などの被害があったようで、現在は関係者以外の立ち入りを禁止とされています。バリケードのようなものはありませんので、入ろうと思えば自由に入れますが、私はやめておきました。

住職さんにお願いをすると入れて頂けるなどの情報が、ネットでは散見されますが、私は試していないので真相はよくわかりません・・・
お昼時に伺ったので、おそらく住職さんの家かなと思われるドアを叩くことは遠慮しました。

境内には小山田城の立派な石碑もあります。
個人的にはやや消化不良に終わった小山田城散策ですが、戦国時代甲斐武田氏の滅亡において、大きく関与した小山田氏の発祥の地と呼んでいい小山田の地を散策できただけも満足はできました。

尚駅から徒歩でもいけますが、道中コンビニなども全くないので、周辺にはトイレなども全くないことを付記しておきます。

所在地

東京都町田市下小山田町332-2

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【小田急線】小田原線 新宿駅~新百合ヶ丘駅(急行停車駅・乗換え)~ 多摩線 唐木田料金 片道370円 所要時間 約40分ほど
【入館料】0円

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