日本の城巡り「MARO参上」

ホーム > 中部地方の城 > 愛知県の城一覧 > 安祥城(愛知県)

安祥城(愛知県)

松平氏の本拠として繁栄した戦国時代の名城

 

名鉄南安城(あんじょう)駅が最寄駅ですが、管理人のようにJRで他地方から訪問される方は、JR安城駅が最寄。徒歩で十分訪問可能なエリアに安祥(あんしょう)城があります。

現地解説板の縄張によると、安城市歴史博物館のある付近が三の丸と推定され、南東の方角に隣接する大乗寺が本丸と推定されます。この本丸は明らかに高台になっています。
続いて本丸西側にある東尾八幡社が二の丸となります。
実際に城内を徒歩で散策するとかなり広大で時間も必要になってくる城です。

そのまま現地解説板による歴史背景を見ると、築城したのは永享12(1440)年に和田親平と伝わります。
その後、文明3(1471)年頃に、松平信光が奪うと以後50年松平4代(家康の祖父・清康の代まで)の居城となったと伝わります。

清康は岡崎城の拡大を図るも天文4(1535)年に名古屋の守山城で「守山崩れ」と呼ばれるお家騒動で、家臣により殺害されてしまいます。
跡を継いだ、家康の父・広忠が岡崎城へ本拠を移すと、尾張の織田信秀(信長の父)が侵攻。これより、5度(3度の説もある)の戦場と化すことになります。

信秀が初めて安祥城に攻め込んだのは天文9(1540)年。信秀が勝利し、安祥城は織田方のものと代わります。

天文18(1549)年、広忠が岡崎城で家臣によって暗殺されると、すでに松平氏を傘下に治めていた今川義元が松平氏の完全掌握が目的で動き出し、義元の軍師としても名高い太原雪斎をトップに、松平軍との連合軍で安祥城を攻撃。

この戦いでは後に徳川四天王として名を馳せる本多忠勝の父、忠高が戦死。本丸付近の墓地に墓碑が建てられています。

この戦は今川・松平連合軍が勝利し、安祥城の城主だった織田信広(信長の庶兄)が捕虜にされ、その際、交換条件で織田氏の人質となっていた後の徳川家康こと松平竹千代が今川の駿府城へ移されるという事件にも繋がった戦いでもありました。

その後、今川義元は有名な桶狭間で戦死(1560年)し、その後、織田氏と松平氏は同盟を結ぶことになり、安祥城の役目は終わり廃城になったそうですが、再び天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いで徳川軍に利用されたと考えられるそうです。

現在、城址公園内に切岸(きりぎし)などの遺構を確認できますが、相当アスファルトで舗装・整備されているため往時の面影を感じるのが難しい状態。
それでも明らかに濠跡とわかる地形などがちらほらと点在します。

本丸は平山城の形態ですが、案外高低差もあり、当時は相当眺望も利いたのではないかと推測できます。

安祥城の石碑は大乗寺の山門を降りたところに存在しています。
安祥城はどれか一つのシンボル的遺構を楽しむという目線だと、やや物足りなく感じてしまうと思いますが、城域をじっくりと、今川、松平、織田の三河・尾張をめぐる熱い戦いを想像しながら散策すると、戦国歴史ロマンに浸れる城跡です。

特にその時代背景が好きな歴史ファンなら必見のお城だと思います。

近くのオススメすぽっと

JR安城駅前にある、うどん屋「梅家」さん。せっかく愛知に遠征したので名物が食べたく味噌煮込みうどんか、味噌カツか、きしめんで悩みましたが、価格的にもリーズナブルだった「味噌カツ丼」をチョイス。味噌カツ自体はあまり食べたことがないので、評価は難しいですがお肉も柔らかく、店主の方の配慮も気持ちよく食事が出来ました。安城観光の際にオススメしたいお店です。
食べログの紹介ページはこちら

所在地

愛知県安城市安城町赤塚1

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~名古屋駅(乗換え) 料金 片道10,780円 所要時間 約1時間40分ほど
【JR在来線】東海道本線 名古屋駅~安城駅(新快速停車駅)  料金 片道460円 所要時間 約28分ほど
【入館料】0円(安城市歴史博物館のみ一般200円、中学生以下0円)

写真ギャラリー