日本の城巡り「MARO参上」

ホーム > 中部地方の城 > 愛知県の城一覧 > 刈谷城(愛知県)

刈谷城(愛知県)

徳川家康の母方の祖父にあたる水野氏の居城跡

 

刈谷(かりや)城はJR逢妻駅の南側にある亀城公園付近にあったとされます。
遠方から訪問される際は新快速などが停まる刈谷駅が便利ですが、実際歩きましたが、多少距離は逢妻駅よりも長いです。

刈谷城は天文2(1533)年に水野忠政(徳川家康の生母・於大の方の父)が築城したと伝わります。

天文10(1541)年に忠政は岡崎城の松平広忠(家康の父)のもとに先に触れましたが、娘の於大の方を嫁がせ松平氏との関係が深まっていきましたが、忠政が死去すると、水野の跡を継いだ信元は一転し、織田氏に属したそうです。

そのため、水野氏と松平氏は絶縁状態となり、幾度か戦闘も起きたようですが、その後、桶狭間の戦い(1560)で今川義元が戦死すると信元は家康に接近し、永禄5(1562)年の清洲城での織田信長と家康の同盟まで成立させていったとされます。

刈谷城はその後、信長に謀反の疑いをかけられた信元は殺害され、代わって信長重臣の佐久間信盛が城主。その信盛も仕事ぷりを咎められ信長に追放されると、再び水野氏の元に刈谷城が戻り、寛永9(1632)年に水野忠清が豊橋の吉田城に移るまで、基本水野氏の居城として君臨したそうです。

以後、刈谷城は何代か城主を代えながら最後は土井利教の時に明治維新を迎え、それまで存続したそうです。

現在、亀城公園の中心部になっている場所は本丸跡で土塁などの遺構がわずかですが残されています。また2014年の正月に訪問しましたが、その時点で復元再整備が進められており、建造物なども復元計画にあるそうです。

現在、亀城公園の中心部になっている場所は本丸跡で土塁などの遺構がわずかですが残されています。また2014年の正月に訪問しましたが、その時点で復元再整備が進められており、建造物なども復元計画にあるそうです。

土塁や水堀などの遺構が残りますが、整備が行き届いていますので少し拍子抜けしてしまいました。
碧南市の妙福寺には辰巳櫓が移築現存するそうですが、管理人はまだ未訪問。遠方なのですぐとは言えないですが、機会あればぜひ訪問してみたいです。

都市部の城址公園ですから天候・季節に関わらず気軽に訪問できる城跡です。

所在地

愛知県刈谷市城町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~名古屋駅(乗換え) 料金 片道10,780円 所要時間 約1時間40分ほど
【JR在来線】東海道本線 名古屋駅~刈谷駅(新快速停車駅)  料金 片道400円 所要時間 約18分ほど
【入館料】0円

写真ギャラリー