環濠を巡らせた中世の自由貿易都市
名称を「環濠」とするか悩みましたが、日本城郭大系には「堺城」として紹介されているので、それにならい「堺城」として当サイトでも紹介させていただきます。
足利15代将軍の義昭が織田信長に「副将軍」の名誉職を与えようとしたところ、それを辞退し「堺」を求めたという有名な逸話も残る「自由都市堺」のことです。
まずは歴史を追うと、もともと堺に城郭を建築したのは室町時代の大内義弘。北朝の武将として活躍していた義弘は自身の力が大きくなるに従い、時の将軍・義満の命令も聞かない存在になっていました。その際に、この堺に上陸した義弘は堺におびただしい数の城塞を築いたと「後太平記」に記されているそうです。
義弘の運命は、一連の戦いを「応永の乱(1399年)」と呼び、同年討死にしました。
その後の堺は有名な通りですが、南蛮諸国や中国などとの貿易都市として栄え、特定の武将の統治下ではなく商人達が自治を行い、自衛施設として環濠をめぐらし自由都市として繁栄します。
当初は信長の進出にも反発した堺衆も永禄12(1569)年に堺は信長の支配下に入り、以後、信長の死後に後を継いだ豊臣秀吉が天正14(1586)年に環濠を埋めてしまい、中世の環濠都市堺は姿を消してしまいます。後、徳川家康の時代に環濠の再建は認められたものの、かつての賑わいを取り戻すことはできなかったようです。
現在、南海堺駅の東口を出ると土居川が往時の環濠を物語っていますが、「堺環濠」としての解説板や、石碑の類はありません。街中に様々な石碑や解説板が残りますので、ここでは代表的なものをいくつかご紹介します。
中央環状線を東に紀州街道(路面電車が走っています)近くまで行くと、千利休の屋敷跡地の石碑などがあり、その紀州街道を北側(阪堺線の妙国寺前駅付近)へ向かう途中には、堺城とは関係ありませんが、歌人・与謝野晶子の生家の解説板があり、先に触れた妙国寺前駅付近には、後に大名になる小西行長の屋敷跡地があります。
さらにそのまま直進していき南海線「七道(しちどう)駅」近くには堺の鉄砲鍛冶の屋敷跡が残りますが、こちらは内部見学は2013年1月現在ではできませんでした。
街全体を歩いてみましたが相当に大きな規模。環濠遺跡もこれまでいくつか見てきましたが、往時の規模とは異なると思いますが圧巻だったのだろうと思えます。
街は政令指定都市ですし開発され、時期や天候にとらわれず散策できますので、ゆっくりと街中に眠る史跡跡の解説板を見つけていくと楽しめると思います。環濠としての遺構は先の土居川が濠の役割だったとされる以外、ほぼ存在していませんが、堺に行く機会があれば、ゆっくり名残を散策されてみてはいかがでしょうか。
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ラーメン屋「麺屋ごえん」さん。数量限定という煮干ラーメンを頂きましたが、よく煮干の出汁も効いて本当に美味しかったです。さらに店員さんの愛想もよく気持ちよく食事のできるお店です。
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所在地
大阪府堺市堺区宿院町西1など
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅(乗換え) 料金 片道14,250円 所要時間 約2時間26分ほど
【JR在来線】東海道線 新大阪駅~大和路快速線 大阪駅(乗換え)~新今宮駅 料金 片道210円 所要時間 約19分ほど
【南海本線】新今宮駅~堺駅 料金 片道250円 所要時間 約13分ほど
【入館料】0円