日本の城巡り「MARO参上」

ホーム > 東京多摩の城 > 保谷氏館(東京都)

保谷氏館(東京都西東京市)

戦国時代末期の武士の城館跡伝承地

 

武蔵野郷土史刊行会の「多摩の古城址」に説明のある「保谷(ほうや)氏館」は、西東京市の東伏見稲荷が城(館)跡地と推定されています。

保谷氏館は平城として紹介されていますが、稲荷神社の南側にある青梅街道から見ると、地形的に高台にあることがよくわかります。

まずは、「多摩の古城址」を参考に、保谷氏館の歴史背景を紹介します。
「新編武蔵国風土記稿」に「上保谷村は新倉郡広沢庄に属し郡の南にあり。江戸を隔たること五里、この村は土地平かなれど水利宜しからざれば古来より畑なり。保谷氏主として開墾せし故にこの名あり。」とあり、これは「多摩の古城址」の著者である小幡晋氏は、戦国末期の頃に、それまでは雑木林と草原だったこの地を、保谷氏が開墾したため、保谷の名前が付いたと解釈されています。

この「保谷氏」は、東伏見稲荷から、西武池袋線の「ひばりヶ丘駅」方面へ向かう途中にある東禅寺に開基者として「保谷出雲守直政」の名があり、この人物と推定されているようです。
東禅寺の創建は小田原の役(1590年)後の文禄3(1595)年とされるため、保谷氏が城館を築いた年代もおおよその推測ができるのではないかと思います。

東禅寺にも実際に訪問しましたが、公共交通機関を利用される場合は、近くの「ひばりが丘中学校」様がすぐ近くにあり、こちらの公式サイトの、交通アクセスを参考にしていただくとわかりやすいと思います。
管理人はかつてこの近辺に住んでいたこともあって、土地勘もあったので、距離はかなりあるのですが徒歩で訪問しています。

この東禅寺は東伏見稲荷には遺構や、保谷氏館に関する解説板などは存在しないため、保谷氏館や保谷氏の名前を唯一確認できる史跡にります。

しかし、この保谷氏について明確なことは分からないそうで、この保谷氏館が存在したかどうかも伝承の域をでないようです。

管理人は東京から関西に戻る際に、「東京時代の思い出めぐり」としてかつて付近に住んだこの保谷氏館も感慨深く散策しましたが、特に城館としての見所は少ないため近くに寄られる機会があれば一度訪問されてみてはいかがでしょうか。
最後にこの記事を書くために、資料を提供いただいた方のブログをご紹介させていただきます。かなり歴史や城郭に精通された方なので、当サイトの読者の方もぜひご覧ください!
サイガのブログ・人間万事塞翁ヶ馬

所在地

東京都西東京市東伏見1

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【西武線】新宿線 西武新宿駅~鷺ノ宮(急行停車駅)~西武柳沢駅 料金 片道260円 所要時間 約25分ほど
【入館料】0円

写真ギャラリー