人見四郎の墓が残される府中市の城館伝承地
京王線の東府中駅の北側にある浅間山公園付近に人見屋敷(上屋敷・下屋敷)があったとされます。
築城時期や築城者は日本城郭大系にも明記されておらず、その存在は「新編武蔵国風土記稿」に冒頭の人見上屋敷・下屋敷が明記されていることのみのようです。
府中市は元々武蔵国の中心だったため、それと何らかの関係性がある人物ではないかと、日本城郭大系には記されています。
現在の浅間山公園はまさに中世の山城(平山城)が置かれていてもなんら不思議でない場所で、見ようによっては土塁に見えなくもない箇所もありますが、恐らくそれは、管理人の希望的視点にすぎないでしょうね・・・
浅間山公園の明治大学野球場側の丘陵に人見四郎なる人物の墓と伝わる碑が設置されています。現在の碑はかなり新しいもののような感じがします。人見氏は武蔵七党のひとつ猪俣党の流れを汲む武将のようです。ただしこの人見四郎の本拠地は、この府中ではなく埼玉県の深谷もしくは群馬県の安中のあたりに城館を構えていたそうですが・・・
浅間山公園には人見屋敷についての解説板や、石碑などの類も設置されていません。唯一、文中に登場した人見四郎の墓のみが、人見氏とのつながりを語るのみです。
実は管理人が東京在住時代、この浅間山公園近くに同じ関西出身の学生時代からの知人が住んでいたため、何度かこの付近は訪れたことがあり、あらためて城郭大系を見たとき、こんなところに城館があるなんてと、2015年2月に初訪問しました。
今も近くには航空自衛隊の施設が置かれていますが、往時からこの周辺は軍事的に重要視される場所なのでしょう。
冬シーズンの方が安全に訪問ができると思いますが、基本的には季節を問わずに訪問ができる市街地の自然公園です。
所在地
東京都府中市若松町5
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円