南北朝時代には存在していたと推測される城跡
後北条氏の末裔が幕末まで統治した狭山陣屋の近くに池尻城はあったと伝わります。
南海高野線の大阪狭山市駅から日本最古の溜め池とされる狭山池へ向かい、近代的な建築物の大阪府立狭山池博物館を目指します。この博物館は無料で見学が可能(2015年7月現在)ですが、こちらの図書コーナーに池尻城の復元模型と、簡単ではありますが発掘された際の様子などのパネルが展示されています。
発掘された跡は埋め戻されたようですが、周辺は宅地化されており、写真の長閑な田園からかつて池尻城があったであろう一帯を望むことしかできません。
池尻城の歴史については日本城郭大系にも記されていますので、そちらを参考に歴史背景を紹介します。
建武4(1337)年に「半田・池尻両城を高木氏配下の佐備正忠が攻めた」という記録があるそうです。
またさらに、貞和3(1347)年にも楠木軍と北朝軍が池尻城で戦った歴史があるそうなので、鎌倉幕府の末期から、室町時代の初期にかけて存在していたことはほぼ確実であろうと推測されているそうです。
誰がいつ築城したのかは分かっていないそうです。
目だった遺構はありませんが、近くには用水路や、溜め池が多くかつてこの一帯は湿地帯で、池尻城のあったとされる丘は要害の地であったであろうことは、なんとなく想像できる地形です。
残念なのは、折角博物館にその存在を記し、また発掘も行われたわけですので、できれば石碑や解説板でも設置いただけると城ファンとしてはありがたいのですが・・・
一帯は大阪南部から和歌山県にも比較的近い地理関係。
これは管理人の推測ですが、戦国期は軍事要塞として使用されていたのではないかと思っています。
天正18(1590)年の小田原合戦後、この狭山は後北条氏の直系が統治することになりますので、以後は狭山陣屋が中心になったと思いますので、その頃にはこの池尻城は完全に役目を終えていたものだと思います。
狭山陣屋、また文中で紹介させていただきました、狭山池や博物館と合せて散策されることをオススメします。
所在地
大阪府大阪狭山市池尻中
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅 料金 片道14,450円 所要時間 約2時間26分ほど
【大阪市営御堂筋線】新大阪駅~なんば駅 料金 片道280円 所要時間 約15分ほど
【南海線】高野線 難波駅~大阪狭山市駅(区間急行停車駅 ※急行は通過) 料金 片道440円 所要時間 約25分ほど
【入館料】0円