中世から幕末まで本願寺勢力の寺内町として栄えた町
JRの「摂津富田駅」もしくは、阪急の「富田駅」の南側に位置しますが、少し距離があるので、摂津富田駅近くのレンタサイクルで自転車を借りて訪問されることをオススメします。料金も最初に1000円の預け金(最後返却されます)と、使用料は100円なのでとてもオトクです。
この富田(とんだ)寺内のすぐ近くには普門寺城もあるので合わせて城巡りを楽しめます。
この富田寺内の歴史ですが、現在の教行(きょうぎょう)寺が文明8(1476)年頃に、寺内の中心的存在として富田道場に出来たとされます。現在の教行寺は規模も小さなお寺ですが、入り口に富田道場、富田寺内について触れらている解説板が設置されています。
永正・大永(1504~28)の動乱期を経由し、徐々にこの地方の一向衆の拠点として発展していったと、解説板や日本城郭大系に記されています。
天文元(1532)年に管領・細川晴元と対立し、細川・日蓮衆徒の連合軍の前に富田道場を始め、寺内はことごとく焼き払われてしまったとのこと。
その後、天文5(1536)年に晴元と日蓮宗側が対立し、「天文法華の乱」で日蓮宗側を弾圧すると、本願寺側に富田再興を許可し、蓮如上人が親鸞上人の「教行信証」を、現在の教行寺で書写したことから「教行寺」と名も改め、寺内町も再び栄えたとされます。
現在ですが、細い路地の中に多数の民家などが密集し、寺内町の名残はよく残されていると思います。江戸時代には酒造業で栄えたそうで、その名残もわずかですが残しています。
冒頭で触れた普門寺城は晴元も城主を務め、最後は幽閉された城でもありますが、この普門寺城から、坂道を下った位置にあるのが富田寺内という地形です。
そのため両者の関係が当初悪かった頃は、最大の障害にもなったのではないかと思いますし、両者の距離が近すぎるため、古くから様々な交流はあったのだろうと個人的な意見ですが感じてしまいます。
酒蔵などはありますが、普通の住宅地でもあるため、あまりカメラ片手に隅まで散策するのは遠慮しないといけない場所ですが、静かな場所ですので先の普門寺城と合わせ、中世富田の歴史を散策したい街です。
近くのオススメすぽっと
JR高槻駅と阪急高槻市駅の間にあるラーメン屋「あす流」さん。カウンター席のみの狭い店舗ですが、店員さんも優しい感じの方でおいしく食事ができました。珍しいので「海老醤油ラーメン」を頂きました。あっさりした味ですが、海老のダシも効きとても美味しいラーメンです。高槻の歴史散策に歩きつかれたら是非こちらで栄養補給を!
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所在地
大阪府高槻市富田町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR在来線】JR東海道本線 京都駅~高槻駅(新快速停車駅)~摂津富田駅 料金 片道380円 所要時間 約20分ほど
【入館料】0円