三好長慶らの攻撃を受け落城していった城郭跡
最寄り駅はJR東海道線「千里丘駅」のほか、阪急京都線「摂津市駅」も近いですが、恐らく訪問しやすいのはJRからの方が分かりやすいのではないかと思います。
現在、三宅城の遺構は残りませんが、石碑が2箇所あり、まず千里丘駅東側のバスロータリーから伸びる道を、直進します。しばらく歩けば阪急の踏み切りにさしかかりますので、それを渡らずに左折。線路沿いにしばらく歩いた、道左手の民家脇に一つ目の石碑があります。
さらにその場所からしばらく道なり進んだ、左手の住宅地内にある蔵垣内公園という児童公園にも、石碑と解説板が設置されていますが、特に一つ目の民家脇の石碑が、非常に見つけづらいと思いますので、地図で詳細の場所を下調べしてから訪問されることをオススメします。
さて、三宅城ですが日本城郭大系によると、1400年代の前半には三宅氏によって築城されていたと考えられています。大永6(1526)年の細川高国と、細川晴元の同族争いでは高国方について戦いますが、山崎城が晴元方に落とされると茨木城、福井城などの近隣の小土豪と歩調を合わせ開城したとされます。
その後、天文5(1536)年頃には三宅国村が城主として、細川晴元に仕えますが、天文17(1548)年に晴元と三好長慶が対立すると、長慶側につき、そのことで晴元軍の攻撃を受け陥落。その後、長慶側が再度盛り返し、三宅城は国村の元に戻ってきます。
三宅城の最後は、近江の六角義賢(よしかた)が、晴元の子・六郎を担いで長慶と争った際、国村は長慶を裏切り、高屋城が落城すると、この三宅城も国村も歴史の表舞台から姿を消してしまったとされます。
現在の三宅城は冒頭で触れたように遺構は残らず、石碑のみですが解説もしっかりとされていて、「城に行った感」は個人的にはそこそこ感じる城跡。地形は完全な平地ですが、地図を見ていると水路も多いエリアのため、往時はそれらが濠の役目を果たしていたのでしょうか。
同じ茨木市内は同じように、石碑のみという場所が多いものの、中世城郭跡がとても多い街のため、それらと合わせて訪問されると、それなりには充実感や満足感を得ていただける城跡だと思います。
所在地
大阪府茨木市蔵垣内3
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅(乗換え) 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR在来線】東海道線 京都駅~千里丘駅 料金 片道540円 所要時間 約30分ほど
【入館料】0円