日本の城巡り「MARO参上」

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飯盛山城(大阪府)

三好長慶が絶頂期を居城として利用した山城

 

飯盛山(いいもりやま)城の最寄は、JR片町線の四条畷駅、野崎駅両方ですが管理人は野崎駅から訪問しました。所在地についても「四条畷市南野」とされたり「大東市北條」のどちらかにされているケースが多いですが、城跡自体が市境となっており難しいところです。
当サイトでは、本丸の解説板も「大東市教育委員会」が設置していましたし、東京地図出版著「城巡礼 盛者必衰 大阪48ヵ所めぐり」にならい「大東市の城」として紹介させていただきます。

JR野崎駅から野崎観音(慈眼寺)までは簡単にたどり着けますが、その裏山から始まるハイキングコースは、ハイキング道としては整備されていますが、何箇所か油断すると危険なポイントもあるため動きやすく、滑りにくい履物は必須です。また12月に訪問しましたが、やはり山中になるため冬場が安全だと思います。

ただ山中は非常にハイカーが多く、よく人とすれ違う場所。多少道に悩む箇所があっても誰かに聞くことも可能なので、心細くはならない山ですね。
本丸付近に石垣が残ることで有名ですが、この城の評価も人によって様々なようですが、管理人はとても遺構も見やすいと感じましたし、比高も高い山城ですが、比較的手軽に訪問できますし、オススメの戦国時代の山城です。

そんな飯盛山城の歴史ですが、新人物往来社著「図説中世城郭事典」によると「太平記」で南北朝時代に築城されていたが、城郭として整備されたのは戦国時代だと説明されています。
本丸には楠木正成の嫡男・正行(まさつら)の像がありますが、楠木氏の城というわけではなく、北条方の城でしたが、この近辺で正行が戦闘を行ったことに由来するそうです(城巡礼 盛者必衰 大阪48ヵ所めぐりより)

戦国期には畠山氏の家臣・木沢長政がこの城に籠り、主君畠山氏を裏切り細川晴元と組み、畠山義宜を滅ぼしてしまいます。その後、長政と晴元の仲が不和になると、三好長慶と晴元が長政を滅ぼしたとされます。

その後、すぐに三好氏の城になるわけでなく、再び畠山氏の家臣・安見美作守直政が河内守護代を自称し、主君畠山氏を追放します。ここで再び長慶が登場し、畠山氏に味方するも、助けられた畠山高政は三好氏の河内進出を恐れ、今度は一度は倒した直政を再び呼び寄せ、飯盛山城に入れたことで長慶は怒り、自ら入城。以後、三好氏の居城となっていきます。

三好氏の絶頂期を支えた飯盛山城も長慶の死後(長慶は飯盛山城で最期を迎えました)、後継者の義継は高屋城へ移り、永禄11(1568)年に織田信長が入洛すると、その信長の支配下に入り若江城へ移動させられます。飯盛山城は再び畠山氏のものとなりますが、天正4(1576)年に信長によって落城させられ以後廃城になったとされます。

現在の遺構は石垣は有名ですが、これは私見として現在は小規模なもの。正直、あまり期待しすぎるとガッカリするかもしれません。ただ土橋や土塁など見所は多いので、じっくりと城域を散策したい城跡ですね。

余談ですが、今回紹介させて頂いた野崎観音コースだと、野崎観音を出れば次は山中の大東市青少年野外センターまで、トイレがありません。しばらく距離があるため、トイレなどは野崎観音を利用した方がいいと思います。また飲み物なども駅前にはコンビニがありますので、そちらで食料は入手しておいた方がいいと思います。

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JR野崎駅前の商店街にある中華料理屋「熊猫」さんは、リーズナブルでボリュームたっぷりの中華定食屋さん。唐揚の日替わり650円で大ぶりでジューシーな唐揚がどっしりと入って満足しました。中国人の店員さんもとっても親切。内装も清潔で気持ちよく食事ができました。
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所在地

大阪府大東市北條

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅(乗換え) 料金 片道14,250円 所要時間 約2時間26分ほど
【JR在来線】東海道線 新大阪駅~環状線 大阪駅(乗換え)~片町線 京橋駅(乗換え)~野崎駅 料金 片道290円 所要時間 約37分ほど
【入館料】0円

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