織田信長の叔父・信康が築城した現存天守の残る城
日本100名城の一つでもある犬山城は名鉄犬山遊園駅で降り、天守閣の見える方向に向かい、木曽川沿いに歩けば簡単に訪問できます。
現存天守のある城の一つとしても有名な犬山城は別名を白帝城(はくていじょう)と言い、本当に木曽川に接する絶壁の小山の上に築かれています。愛知県には天守閣を持つ城が少なくないですが、現存天守となると県内では唯一、この犬山城だけとなります。
天文6(1537)年に織田信長の父・信秀の弟で、信長から見れば叔父に当たる織田信康が築城したと伝わります。信康は兄・信秀とともに行動し、戦功もあげた人物だったそうですが、美濃の斎藤道三を攻めた際に戦死(異説もあるようです)、その跡をついだ信清は津田姓を名乗り、また主家筋の信長に対して反抗的であったため、信長によって城を追われ、元亀元(1570)年に池田恒興が入城します。
犬山城といえばやはり最大の見所は、現存天守になってきますが、この天守閣は信長時代の後、文禄4(1595)年に石川貞清が城主となり、その代に築かれたものだとされます。
その石川氏は関ヶ原で西軍についたため戦後所領を没収され、かわって徳川親藩系の大名が統治しますが、最も長く続いたのが尾張徳川氏の付家老・成瀬氏。成瀬氏は元和2(1616)年に正成(まさなり)が入城すると明治維新まで犬山の地を代々世襲していきました。特に犬山城で稀有だったケースは、維新後「廃城」にはなりますが、現在の財団法人が所有するまで、成瀬氏が私有する文化財として存在していました。
現在の犬山城は立ち入れる場所が限られてしまうため、印象としては天守閣のみが残されたような状態。ただ、一部空堀なども確認することができます。
少し距離はありますが、城の西側の橋を越えて岐阜県各務原市側に移動し木曽川を挟んで犬山城を見てみると、その断崖絶壁ぶりがよくわかり、戦国時代の城郭が置かれた意味がよくわかります。
もっと城山の中も自由に見学できるようになると、様々な遺構を楽しめるような気がしますが、国内でも数少ない現存天守は必見です。
所在地
愛知県犬山市犬山北古券65-2
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~名古屋駅(乗換え) 料金 片道10,780円 所要時間 約1時間40分ほど
【名鉄線】犬山線 名鉄名古屋駅~犬山遊園駅(急行停車駅) 料金 片道590円 所要時間 約34分ほど
【入館料】大人500円、小・中学生100円