日本の城巡り「MARO参上」

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八王子城(東京都)

秀吉の小田原征伐で壮絶な最期を遂げた巨大山城

 

日本100名城の一つ、八王子城はJR、京王高尾駅・北西の位置にある山に築城された山城です。築城されたのは天正12(1584)年~天正15(1587)年の頃とされ、北条氏康の次男・氏照の居城だったと日本城郭大系に記されています。

北条氏康は関東支配に乗り出すにあたり、関東管領職にあった山内上杉氏の守護代を務めた大石氏に氏照を養子に出し、名門大石氏の跡を継がせます。弘治3(1557)年~永禄2(1559)年の頃に、氏照は大石氏の居城だった滝山城に入り近辺の統治拠点としたと考えられています。

永禄12(1569)年に武田信玄が滝山城を攻撃し、落城寸前まで追い詰められたことがきっかけで、八王子城の築城と、移転を決意したと言われ、天正16(1588)年には豊臣秀吉の来攻に備えさらなる拡張を行っていた最中、天正18(1590)年、遂に秀吉は小田原征伐を開始、八王子城は6月23日、前田利家・上杉景勝を主力とする北国勢によってわずか1日にして落城したと伝わります。

城主氏照は小田原城に在城中で横地監物、中山勘解由らが守備しましたが、戦闘経験の乏しい兵も多く、その落城については壮絶な最期であったと伝わっています。

さて、ここまでの歴史背景などは有名ですし、当サイトでは八王子城の見どころと、注意ポイントについて説明させていただきます。

よくこの城は「心霊現象のある城」として紹介されていますが、その点については真相は分かりません。ただ御主殿の滝があるあたりは、軽装での訪問が問題ないほどに整備されていますし、多くの観光客でも賑わう場所なので「薄気味悪い」場所ではないと思います。

この御主殿は氏照の平時の居館。いざという際は山に籠ることになりますが、まず八王子神社の鳥居をくぐり、しばらく丸太などで整備されたハイキング道を進むと金子丸に到着します。さらに進んでいくと、石垣を眼下に見ながら柵門跡、高丸と続き、いよいよ本丸が近づきます。

それなりに比高はありますが、ここまではある程度しっかりした履物であれば、特に初心者の方でも問題ないと思いますし、土日であれば本丸までは、山城にしては人通りも多い場所です。

八王子神社に着けば、さらにその上に登りきると本丸。あまり広い場所ではありません。八王子城合戦の際は、城代・横地監物が守備したと現地解説板に説明されています。
その下、松木曲輪にはベンチがあり、大きく眼下が開けていますので、多くのハイカーの方も休憩場所として使っていらっしゃいます。ここは、中山勘解由が守備したとされ、その時の奮戦ぶりが後に徳川家康の耳に入り、子孫は水戸徳川家の家老に取り立てられたそうです。

この八王子城の最大の見どころはさらにその先だと思います。
詰の城と呼ばれる場所へ向かうのですが、途中に井戸があり、それを越えたあたりに巨大な堀切が迎えてくれます。さらに詰の城(大天守)と、富士山が見えるスポットとしてハイカーに人気の富士見台へ向かう間にも、同じく巨大な堀切を見ることが可能です。

しかし、この本丸から先に向かう場合は、滑落事故も起きていることから、履物や体力などには相当注意が必要です。道も一転して獣道のようなコースに代わりますし、人も一気に少なくなります。また訪問した日は、御主殿に大量のサルが発生していましたが、野生動物も住んでいる山なので、もし自信のない方は、勇気を持って本丸から引き返されることをご提案します。

八王子城は遺構も素晴らしい上、戦国史上に名を残す著名な城なのですが、わかりやすい建築物なども残っておらず、やや玄人好みの城かもしれません。近年の山城ブームで、こういった一般的にはマニアックな城跡も注目されることは、城ファンとしては嬉しい限りなのですが、文中でも紹介させていただいた、心霊噂話の真相よりも、山城としてとても危険な場所もある城ですから、しっかりとした山歩きの恰好と装備。十分な体力のある日に思う存分、それぞれの楽しみ方で、八王子城を満喫してほしいと思います。

あと御主殿から本丸、大天守を見てついでに富士山見学に富士見台まで回れば3~4時間は必要かと思います。時間にも余裕をもって入山をされることをオススメします。

所在地

東京都八王子市元八王子町3

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【京王線】京王高尾線 高尾山口行 新宿駅~高尾駅(北野乗換えも有)料金 片道360円 所要時間 約50分ほど
【西東京バス】高尾駅北口~八王子城跡 料金 片道180円 所要時間 約10分ほど
【入館料】0円

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