千葉氏嫡流、武蔵千葉氏の拠点の一つ
桓武平氏の流れを汲む名門千葉一族は、関東における戦国のきっかけを作った「享徳の乱(1455~83年)」に巻き込まれていき、同族同士の争いに発展&弱体化し、筆頭家老であった原氏、千葉支流の馬加氏に千葉家が乗っ取られ、事実上千葉嫡流は滅んでしまいます。
嫡流の直胤・胤宣父子は一連の戦いで命を落とし、直胤の実弟である胤賢も自刃。その子である実胤・自胤兄弟は国府台城を追われ、扇谷上杉氏に助けを求め、その重臣である太田道灌の庇護を受け、兄の実胤は石浜城、弟の自胤がこの赤塚城を築城し、居城としたと伝わります。
これより「武蔵千葉氏」が始まったとされ、兄である実胤が初代当主とされますが下総を奪回するという志半ばで隠遁。代わって弟の自胤が石浜城も含め武蔵千葉氏を引き継ぎますが、確固たる領土を持たない武蔵千葉氏の軍事力などでは限界が多く、太田道灌の死去後は後北条氏の傘下に入り、他の関東の多くの武家や城塞と同じように1590年の豊臣秀吉による「小田原の役」で落城という運命を辿ったようです。
さて、現在の赤塚城は東京で生活をしていると都営三田線の終着駅のため何度か目にしたことのある方も多いであろう「西高島平駅」が最寄駅。そこから多少歩くことになりますが、現在都営赤塚公園として整備されています。
訪問時は当サイトの相互リンク先の一つである「栃木の城+α」の管理人さんと共に訪問。いつもは単独で城巡りをすることが多いのですが、また違う雰囲気の中で城巡りを楽しみました。
いろいろなサイトで、この赤塚城は遺構などの見所の評価が高く期待していったのですが、正直どこまでが遺構かなど分かりづらい印象を受けました。本丸付近には解説板と石碑が設置されています。
また南側の乗蓮寺は二の丸と推定されており、こちらにも石碑が設置されています。この乗蓮寺には東京大仏もあり観光客も多く賑やかな場所です。
この東京大仏へ赤塚公園から目指すと途中には高低差の激しい道路で分断されているのですが、往時の地形を保っているとすれば、相当広大な城で、要害の地であったことが容易に分かる場所。ここはさすが「築城の名手・太田道灌プロジェクト」とでも評するべきでしょうか。
ここは各個人の評価が分かれるお城だとは思いますが、都内の中世城郭としては有名な城の一つですので、天気の良い日にゆったりと散策したい公園ですね。
ただし、都内23区内なのですが、駅周辺など大型の商業施設などが少なく、飲食やトイレなどに案外困る場所でもあるので、必要な物は駅で揃えていくことをオススメします。
所在地
東京都板橋区赤塚5
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【都営三田線】巣鴨駅~西高島平駅 料金 片道260円 所要時間 約23分ほど
【入館料】0円