鎌倉幕府御家人が築城したとされる城郭伝承地
JR中央線の阿佐ヶ谷駅、もしくは地下鉄東京メトロの丸ノ内線で南阿佐ヶ谷駅を出て、南側へ向かいます。周辺は入り組んだ住宅地が続くため、地図をあらかじめ用意しておかないとわかりづらい場所です。
都立杉並高校の近くに共立女子学園研修寮があり、その付近が城跡であったと推定されています。ただ文献資料(新編武蔵国風土記稿)などにも登場する城ですが、正確な場所や歴史など、不明点の多い城です。当サイトでは多くの、城サイトでも紹介されている、こちら共立学園寮を推定地として訪問しました。
様々な城サイトを拝見させて頂いていると、築城者として鎌倉幕府御家人の中野左兵衛門之尉成宗の名前もよく見かけますが、日本城郭大系では中野氏については触れられておらず、先の「新編武蔵国風土記稿」で「伝云鎌倉時代より陣屋櫓のありしを、其後太田道灌の持ちとなり、家臣某を守らしめしが」と、扇谷上杉氏の重臣・太田道灌が関係していたことを指摘しています。
「成宗」についても同書では触れておりますが、この人物が誰かということは明らかにされておらず、「小田原衆所領役帳」では大橋氏がこの地を治めていたと記録され、他にも島津孫四郎なる武将の名前もこの地を治めていた人物の「候補」として上がっているそうです。ただ両者とも戦国時代、後北条氏の支配下になってからの話でしょうし、鎌倉時代の築城者でないのは明白です。
この成宗(なりむね)城について分かっていることは、このくらいの情報だそうです。
現地ですが、訪問時はJRの阿佐ヶ谷駅から向かい、そちら方面から向かうとほぼ平地(地下鉄南阿佐ヶ谷駅にかけて開発されているため、往時の地形はとどめていないと思われますが…)で、城砦を築くのに適した場所とは思いづらい場所ですが、この共立学園寮の北側(やや記憶が曖昧なのですが)などはこの一帯が高台になっていることを示す坂道になっていたり、訪問時は訪れていませんが、地図を見ても南側に、城域を取り囲むように善福寺川が流れているなど、多少はかつて軍事的に重要視されたかもしれない場所であることが想像できます。
そちらには「屋倉(やぐら)橋」などという橋もあるそうですが、詳しく取り上げておられる、城紹介ブログの「旦さまと私」 様も参考にしてみてください。
周辺は完全に宅地化され遺構はなく、また解説板なども用意されていません。正直見所は少ないので近くに寄られる機会があれば、一度訪問しておく程度の城跡ですね。
所在地
東京都杉並区成田西4
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円