高山右近が秀吉政権時代に築いた城跡
場所は山陽電鉄の西新町駅が最寄になりますが、JR明石駅からでも徒歩で訪問できる距離だと思います。
別名で明石城または、明石古城とも呼ばれる船上(ふなげ)城は、天正14(1586)年に高山右近重友によって築城されたと伝わる城跡です。
天正13(1585)年に豊臣秀吉が、長宗我部元親を倒し四国を平定すると関白となり「天正の国替え」を行ったと日本城郭大系には説明されていますが、その際、それまで明石を治めていた明石与四郎則実が但馬豊岡に転封となり、代わって高槻城の高山右近が枝吉(こちらも別名は明石)城に入り、船上城を築城しはじめます。
諸説あるようで、別所長治の叔父・別所山城守吉親の林ノ城を拡張したとも言われているようです。
右近は天正15(1587)年にキリシタンであることが理由で大名を剥奪され、慶長19(1614)年にはフィリピン・マニラへ追放。そのまま現地でこの世を去ってしまいますが、この船上城は、中島左兵衛、毛利九郎左衛門、藤井新右衛門勝介らが城番として統治し、徳川政権に代わると、姫路城の池田輝政の子で家老だった池田左近利政が船上城に入るも、一国一城の令が出ると廃城に。
元和5(1619)年に小笠原忠政が現在も残る明石城を築城すると、船上の屋敷構えも廃止になったそうです。
比較的新しい時代の城ですが、現在はほとんど遺構を残しません(明石城の巽櫓は船上城からの移築などと言われています)。写真の水田の中にある小さな丘に、社があることは肉眼で確認できました。
他のお城サイトでは、この社に「船上城」などの名前が記されているそうなので、あぜ道伝いに行こうと思いましたが、ロープで立ち入りが制限されていました…。
全盛期を迎えていた高山右近がどんな城を築いたのか、今では想像するしかないですが、明石城からも近いので、合わせて訪問されることをオススメします。
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明石駅を降りて、城と逆方向に5分も歩けば海が広がります。そんな漁港に面した一帯にある食堂「みどり食堂」さん。訪問時は朝8時ころに行ったので、タコ入りのダシ巻きタマゴ定食を頂きました。落ち着いて食事もでき、且つ味も良し。また訪問したいお店です。
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明石は子午線の通る街。写真の明石市立天文科学館の大きな時計こそが、日本の標準時刻を刻んでいます。明石原人、明石ゾウなど様々な見所に溢れた街です。場所は山陽電鉄人丸前が最寄ですが、JR明石駅から徒歩でも十分可能な距離です。
明石市立天文科学館の公式サイトはこちら
所在地
兵庫県明石市船上字古城
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線ひかり 品川駅~西明石駅 料金 片道15,000円 所要時間 約3時間42分ほど
【JR在来線】JR山陽本線 西明石駅~明石駅 料金 片道160円 所要時間 約3分ほど
【入館料】無料