日本の城巡り「MARO参上」

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志知城(兵庫県)

黒田官兵衛も在城した鎌倉時代から続いた城館跡

 

淡路島南側に位置する志知(しち)城は鎌倉時代初期に菅和泉守道忠が築城したと日本城郭大系に記されています。
この菅氏は鎌倉幕府、室町幕府それぞれに従ったとあり、菅姓でなく野口を名乗っていたともあります。

野口氏は淡路守護の細川氏に仕えたものの、室町末期には新たに勢力を伸ばした細川家臣・三好氏に従い、細川氏とも戦うことになります。戦国の世も志知城を拠点に野口氏は存続しますが、長宗の頃、天正11(1583)年に羽柴秀吉による淡路征伐があり志知城も開城。黒田官兵衛こと孝高が在城し、長宗我部氏と対峙したとあります。

天正13(1585)年には洲本城に脇坂安治、そして志知城には加藤嘉明とそれぞれ「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれた将が淡路島に大名として配置。文禄4(1594)年に伊予正木へ転封されるまで使用されましたが、以後は廃城になったとあります。

現在二の丸から本丸にかけて竹薮になっていますが、そこに本丸への通路が用意されています。
本丸は二の丸に比べ高台になり、本丸に入る手前もS字に曲げられ古城ならではの雰囲気を残しています。

本丸はおそらく畑でしょうか。訪問したのが冬(2017年2月初旬)でしたので、作物は見当たりませんでしたが、「土手」のような箇所に石碑二つと解説板が設置されています。

また黒田官兵衛入城の際、秀吉もこの城に入ったのでしょうか?
太閤石と名づけられた石も本丸隅に残されています。

周辺に堀跡も残っていますが、あまり整備は行き届いていない模様。夏場の訪問は避けた方がいいかもしれません。
管理人は訪問できていませんが、西側には志知城が廃止になった後に秀吉直轄領として築かれた叶堂城、戦国時代に安宅氏が築城したとされる湊城が。
東側には野口氏が当初仕えていた淡路細川氏の拠点、養宜館などがあるので併せて訪問されてみてはいかがでしょうか。

残念ながら鉄道が淡路島には走っていないため車での訪問が必要。洲本市観光協会でレンタサイクルがあるようですが、直線距離でも15キロ近く。高速バスとレンタサイクルを併用されるプランの方は、時間や宿泊なども計画的に練られることをオススメします。

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淡路島へは車で訪問される方が多いと思いますが、島内唯一のサービスエリアは明石海峡大橋も展望できるなど景色もよく、またお土産の購入、ちょっとした淡路島名産を楽しむのにも最適です(写真はしらす丼)。
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所在地

兵庫県南あわじ市志知松本

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新神戸駅 料金 片道15,100円 所要時間 約2時間40分ほど
【本四海峡バス】くにうみライナー・かけはし号 JR新神戸駅~洲本バスセンター 料金 往復3,330円 所要時間 約1時間30分ほど
【入館料】0円

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