日本の城巡り「MARO参上」

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加古川城(兵庫県)

秀吉が毛利討伐の際に軍議を開催した城跡

 

JR加古川駅からも比較的近い、称名寺(しょうみょうじ)が城跡と推定されています。墓地と本堂の間の門付近に、加古川城についての解説板が設置されています。

加古川城の歴史は、平安時代末期、寿永3(1184)年に源頼朝から、平氏追討の功を認められた糖屋有季が、印南郡南条郷を与えられたとあります。

初代城主は糖屋有数とされています。

日本城郭大系の説明によると、鎌倉時代は通常、国衙(こくが)の近くに置かれる守護所が置かれていたそうで、当時国衙は、播磨は姫路であったため、姫路の守護所が移動されたのか、もとから加古川にあったのかは不明だそうです。

時が流れ、戦国時代。
織田信長と別所長治の戦いとなった三木合戦(1578~1580)に於いて、羽柴秀吉は天正5(1577)年10月に「糖屋の館で毛利攻討伐の軍議」を開いたとされています。

ただこれは年数が合わないですし、三木合戦のみでなく、1577~82年まで続いた織田方による中国攻め開戦の軍議のことだと思います。

当時、加古川の十二代目城主だった糟屋武則(かすやたけのり)は、秀吉方について戦い、その後の活躍で「賤ヶ岳七本槍」の一人としても有名な武将です。

さらに後世、大阪の陣で豊臣氏が滅ぶと、加古川城も廃城になったそうです。

現在、城跡には遺構はほぼ残っておらず、また地形も加古川駅からもほぼ平地で、戦国時代に軍事要塞が置かれたとは思えないような場所ですが、地図を確認すると、称名寺の北側にはその名も加古川が流れていることから、当時は軍事的な価値の高い場所だったのかもしれません。

境内には冒頭で触れた、加古川城の解説板のみでなく、南北朝時代に足利尊氏に追われた塩治判官高貞の、弟、六郎他郎党の七人が、主人を守りこの地で命を落としたそうで、その供養塔と解説板も用意されていました。

歴史的にも著名な「賤ヶ岳七本槍」の武将の居城跡にすれば残念なほど扱いも低いですが、JR新快速を使えば京阪神からも遠くないですし、一度訪問されてみてはいかがでしょうか。

訪問当時、現地のご住職と、ご家族の方がおられ、挨拶をさせて頂きましたが、とても気持ちのよい方でした。

近くのオススメすぽっと

加古川市の郷土料理「かつめし」。加古川駅近くの商店街にある「いろはーず」さん。店員さんはアメリカのウエスタン風のコスチュームで統一された、内装も明るいお店。サクサク揚げたてのビーフカツ(肉は豚やチキンもあります)をライスに乗せデミグラスソースをかけた、ハヤシライスのような感覚でした。ソースをハーフ&ハーフでホウレン草と、バジルベースのピリ辛のグリーンソースで注文し、最後まで飽きることなく楽しめました。
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所在地

兵庫県加古川市加古川町本町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線内回り 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線ひかり 品川駅~西明石駅 料金 片道15,000円 所要時間 約3時間42分ほど
【JR在来線】JR山陽本線 西明石駅~加古川駅(新快速停車駅) 料金 片道320円 所要時間 約10分ほど
【入館料】無料

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