日本の城巡り「MARO参上」

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水戸城(茨城県)

日本100名城の一つ。徳川御三家、水戸徳川家の本拠地

 

日本100名城の一つ、水戸黄門で有名な御三家水戸藩、2代目の徳川光圀の居城としても著名な水戸城ですが、歴史は古く鎌倉時代、馬場資幹が築城ししばらく馬場氏(別名:大掾氏)の居城として馬場城と呼ばれていたとされます。

しかし近くの河和田城の常陸守護代を務める江戸通房が、主家の佐竹氏と鎌倉公方両方の承認を得て水戸城へ進出を計画。すでに応永23(1416)年に勃発した上杉禅秀の乱で、鎌倉公方・足利持氏と対立し力を弱めていた大掾氏に婚姻関係を作り、安心させたところで、・足利持氏と対立し力を弱めていた大掾満幹が水戸城を留守にした隙に応永33(1426)年、わずか18名で江戸通房は水戸城を乗っ取り。
これにより大掾氏は現石岡市の府中城だけと大きく勢力を縮めてしまいます。

その後、戦国時代も水戸城は江戸氏の居城として、常陸国内で佐竹氏に次ぐ勢力を保持しますが、天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原征伐で江戸氏は後北条氏
側につき、豊臣方についた佐竹氏が、秀吉の許可を得て水戸城を攻略。
府中城で存続していた大掾氏も滅ぼし、水戸城を拠点とし54万石の大身となりました。

文禄元(1592)年~慶長7(1602)年にかけて佐竹氏は水戸城を大改修したとされますが、改修が終わった頃、佐竹氏は秀吉政権が終わると徳川家康と対立。出羽(秋田)へと移封されます。
代わって甲斐武田の名跡を継いでいた家康五男の信吉が水戸を治めますが、信吉が病死し、後継ぎがいなかったため徳川頼宣が入りますが、頼宣は駿河府中へ移封。その後、紀州へ入り御三家の一つ紀州徳川家の祖となります。

水戸には頼房が入り、これをもって同じく御三家の一つ水戸徳川家が始まることとなります。水戸徳川氏は佐竹氏時代の本丸を兵器置き場とし、旧二の丸を本丸とし、ここには多門櫓を作ったとされます。
水戸城は幕末、元治元(1864)年に天狗党の乱や、第二次世界大戦など比較的新しい戦火のため残っていた建築物も焼失。今では本丸跡の水戸第一高校敷地に佐竹氏時代の物とも考えられる薬医門が移築されているほかは、土塁や堀を残すのみとなりました。

現在、100名城としてはやや寂しい整備状況ですが、本丸の水戸第一高校脇を走る水郡線が本丸と二ノ丸の間を区切る堀跡になりますが、この規模は圧巻。
本丸の水戸第一高校敷地内にも土塁を確認することができます。
二ノ丸跡の水戸市立第二中学校前には規模は小さいですが、展示室があります。

2018年2月に訪問しましたが、その先に大手門を復元中。工事中の様子を歩道橋から見ましたが、見事な桝形虎口を確認することができました。
その先には幕末の水戸の名君・斉昭が建てた藩校・弘道館が残り、こちらは有料ですが見学可能。徳川最後の将軍・慶喜も学んだとされます。

ある程度まとまった史跡公園化されず、街中に城の名残が点在するように保存されている100名城ということでは、同じ関東の川越城にも近いものがあるかもしれません。

史跡公園化されていませんが、規模はさすがにおおきいので、全域を歩いて回ってみようということでしたら、まとまった時間が必要と思います。

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水戸と言えばやはり水戸納豆。管理人は関西生まれ、関西育ちの生粋の関西人ですが、納豆は元々好物。水戸にはその納豆を使ったB級グルメも多いそうで、人気TV番組「ケンミンショー」でも取り上げられたことがある「納豆トンカツ」という名物料理を楽しめます。管理人が行ったのは水戸城から車だと近い那珂市の「まつば」さん。洋食屋なので他のメニューも充実しています。
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所在地

茨城県水戸市三の丸

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR線】中央線快速 新宿駅~東京駅(乗換え)~宇都宮線 水戸駅料金 片道3,820円(有料特急を利用した場合) 所要時間 約1時間35分ほど
【入館料】0円

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