「ラストSHOGUN」徳川慶喜終焉の地
徳川幕府15代目にして、最後の将軍・慶喜は江戸の小石川にあった水戸藩邸で生まれ、その後水戸へ移り弘道館で学問を学んでいたとされ、その頃より英知な子として注目を集めていたとされます。
順調に成長をした慶喜は、紆余曲折を経ながらも15代将軍につき、有名な慶応3(1867)年の大政奉還によって260年に渡って続いた徳川幕府を終えさせます。
しかしその後も慶喜は依然として、権力を持ったままであり、翌年慶応4(1868)年に遂に京都伏見において鳥羽伏見の戦いが勃発。
薩長を中心とした新政府軍との間に、戊辰戦争が始まります。
この戦いに敗れた慶喜は駿府へ移されそこで謹慎をすることになります。
これにより政界の中心からは完全に失脚した慶喜ですが、明治2(1869)年に謹慎が解け、さらに時が流れた明治30(1897)年に東京巣鴨へ帰還。その4年後に生れ育った小石川の水戸藩邸にも近い、現在の国際仏教学大学院大学の敷地内に移り、大正2(1913)年。
かつて争った西郷隆盛や、大久保利通らがこの世を既に去って約40年。晩年に貴族院議員として政界に復帰をしましたが、ほぼ戊辰戦争の敗北後は趣味に生きたとされる慶喜は、この小石川の邸宅に於いて、享年77歳で最期を迎えました。
現在は大学構内の入り口に、慶喜邸の記念碑と、近くに解説板がありそこには、かつては大久保長門守の屋敷があった地だったと記されています。
幕末の英雄達にスポットライトが当たるたび、その敵役として注目されることになる徳川慶喜。
江戸生まれの粋な人物であったのか、野心家であったのか本当のところは誰にも分かりませんが、伝わる慶喜像らしい、東京でも都心部から少し離れた閑静な場所で余生を暮らしていたことが感じ取れる場所です。
所在地
東京都文京区春日2
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【地下鉄】メトロ丸ノ内線 池袋駅~後楽園駅 料金 片道170円 所要時間 約7分ほど
【入館料】無料