浅野長政が家康暗殺疑惑を晴らすために隠居した屋敷跡
豊臣政権下で五奉行筆頭として活躍した浅野長政ですが、秀吉死後(1598年)から関ヶ原開戦(1600年)までの間に起きた「徳川家康暗殺嫌疑事件」。
比較的著名な事件ですが、前田利長・浅野長政・大野治長・土方雄久が家康暗殺を企んだとして、このページで紹介したい浅野長政は甲府に所領(実際は上方住まいが多かったとされます)がありましたが、子の幸長に家督を譲り、自らは身の潔白を証明するために、徳川家康のお膝元、現在の東京都府中市にあった家臣・平田氏の屋敷(甲府に本領があった浅野氏の家臣がなぜ、徳川氏領に都合よく屋敷を持っていたのかは分かりませんが)に隠居したとされます。
その後浅野氏は、関ヶ原の戦いで東軍に加勢。功を認められ浅野氏は和歌山に加増され転封。長政は慶長11(1606)年に常陸国真壁(現在の茨城県桜川市)に本領と別に領地を貰い、そこに陣屋を築き生活の拠点を移し、慶長16(1611)年、そこで65年の生涯を閉じたとされます。
少し話が脱線しましたが、平田氏屋敷は京王線武蔵野台駅から少しだけ、東隣の飛田給駅側に線路沿いに移動した白糸台(しらいとだい)という場所にある、白糸台幼稚園にあったとされます。
現在、園内に解説碑があり、外からも確認することができました。そして南側の空き地(?)は立ち入り禁止ですが、ここには土塁跡とされる土盛りを確認することができます。
またさらにその南側は峻険な地形となっており、往時この一帯は仮にも徳川幕府樹立前、豊臣政権下に於いて実力者の一人であった浅野長政に万が一のことが
起きないように細心の注意が図られた場所であったことが想像に難しくない場所です。
周囲は住宅地で、幼稚園をあまりジロジロと探索するのも時勢的に憚られるため、簡単に周囲を歩いて写真を撮っただけで還りましたが、以前か府中に浅野長政が隠居した屋敷跡があることは知っていて、大阪時代にも何度か訪問企画をたてていましたが叶わず。しかし2017年7月に再度上京したことによって、念願の訪問が叶いました。
豊臣政権下の重要人物で、所領もあまり東京と縁のなさそうな浅野長政ですが、案外関東との繋がりも少なくない人物。
軽装で訪問が可能ですし、晴れた日に一度訪ねられてみてはいかがでしょうか。
近くのオススメすぽっと
隣の飛田給駅前にある中華食堂「長陽」さん。昔ながらの中華そばや、美味しくてボリュームたっぷりの中華定食を温かいスタッフの方が迎えてくれます。
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所在地
東京都府中市白糸台5
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】無料