名将・竹中半兵衛が最期を迎えた三木合戦での秀吉本陣跡
平井山ノ上付城、秀吉本陣など様々な呼称がありますが、当サイトでは日本城郭大系にならって平井山本陣と呼ばせていただきますが、歴史に名高い三木城の別所長治と、それを攻撃する織田信長側の羽柴秀吉軍が激突した「三木合戦(1578~1580)」で秀吉が本陣を置いたのがこの平井山本陣とされます。
先に触れた日本城郭大系では簡単にしかこの本陣跡は触れられておらず、三木合戦で秀吉が在陣し、山上は古墳を利用した監視所があり、秀吉は普段は麓の寺院に居住(宿泊)していたと記されています。
現地の解説板によると天正6(1578)年7月に信長の嫡男・信忠が三木城方の神吉城、志方城を攻略したあとで秀吉が築城したとされます。
同年8月に秀吉が入ったとありますので、本当に戦時の臨時の陣所だったのでしょう。1ヶ月もたたずに本格的な城郭があったとも考えにくいですからね。
同年10月に茶人・津田宗久を招いて茶会を催したとも記されていますが、その直後、この平井山本陣を別所軍が攻撃。三木城城主・別所長治の弟・治定が討死し、別所軍が平井山本陣を巡る戦いで敗北したとされます。
秀吉はこの平井山以外にも多数の三木城包囲網を敷き、「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めを行い、三木城を落城させますが、この一連の戦いで秀吉の軍師として活躍した名将・竹中半兵衛こと重治が病没。最期の場所がこの平井山本陣だと伝わります。平井山本陣へ向かう直前に竹中半兵衛の墓所もあります。
訪問時、もっと整備された公園を想像していた管理人でしたが、完全な山城。特に危険な場所も少ないですが、最低限、動きやすい靴などは必須。2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の影響で平井山本陣に足を伸ばすファンの方も多いと思いますのでご注意ください。
主郭には2014年4月現在はアルミ製の展望台が設置されており、それに登ると三木城なども見下ろすことができますが、この展望台かなり揺れることに加え、管理人は180センチを越える体格のため、柵も低すぎ恐怖心ですぐに降りました・・・
この付近には土塁も残されています。そこから順路に沿っていけば櫓台とされる地形もありますが、これが日本城郭大系の言う古墳なのでしょうか。さらにその先には大手道が残されています。地図で見ると、現在の大手道を下りても山中のため大手口までは訪問しませんでした。
主郭付近をザックリと回っただけですが、全体的には自然の地形を生かし、わずか1ヶ月程度で築いた臨時の陣城であることが見てとれます。山城ならではの竪堀などをお目当てのファンの方にはやや物足りなく感じるかもしれません。
またこの主郭も狭く、雨風を凌ぐ程度の建物はあったでしょうが、居住性に優れた場所だとは到底思えません。
平井山本陣へは管理人は三木城から徒歩で訪問しましたが、片道3.5キロほど。徒歩だと少し厳しい距離ですね。三木城 は三木上の丸駅が最寄ですが、平井山本陣は神戸側に一つ手前の恵比須駅が最寄駅。ここからも距離はありますのでご注意ください。
三木城と合せて訪問したい三木合戦ゆかりの陣城ですが、季節は蛇や蜂の活動時期を避けた冬場がベストだと思います。
所在地
兵庫県三木市平井
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新神戸駅 料金 片道14,670円 所要時間 約2時間44分ほど
【神戸地下鉄】西神・山手線 新神戸駅~湊川公園駅(乗換え・徒歩) 料金 片道230円 所要時間 約7分ほど
【神戸電鉄】湊川駅~恵比須駅(粟生行は1時間1本程度です) 料金 片道590円 所要時間 約40分ほど
【入館料】0円