信長によって庇護された京都におけるキリスト教の拠点
広義な「南蛮寺」は全国のキリスト教の教会ですが、ここでは京都の南蛮寺について紹介させていただきます。
現地の解説板によると、織田信長の時代に、耶蘇会(イエズス会)が建立し京都のキリスト教と南蛮文化の中心的な機能を持ったとされます。
礼拝堂が出来たとされるのは永禄4(1561)年とされています。桶狭間の戦いが永禄3年で、信長が上洛するのは永禄11(1568)年とされていますので、まだ当時の都は三好長慶らが実権を握っていた時代に、すでに南蛮寺は存在していたことになります。
事実上の織田政権後は、天正4(1576)年に京都所司代の村井貞勝の援助があり礼拝堂は再建され、これを南蛮寺と呼ぶようになったと記されています。
しかし信長の死後、天正15(1587)年には豊臣秀吉が宣教師追放令を出し、一転してキリスト教の弾圧に乗り出し、南蛮寺も破壊され以後再建されることもなかったそうです。
一体どんな思惑があったのかは分かりませんが、信長とイエズス会の関係が深かったことは事実。
信長の事実上の京都での「居城」的役割を果たした本能寺や、その嫡子・信忠が最期を遂げた二条殿等、織田氏にゆかりのある史跡にもかなり近い(というより往時はほぼ隣接していたと考えてよいのではないのでしょうか)距離に存在していたことになります。
実際、織田政権にどれだけイエズス会が関与していたのかは分かりませんが、信長の人生を語る上で必ず登場するキリスト教との近接な関係。
その重要な史跡の一つ南蛮寺は今は遺構は残らず、完全に都市化、宅地化されてしまっていますが、ひっそりと石碑と解説板だけが設置されています。
巨大観光都市京都において、建築物の残らない南蛮寺の扱いが低いことはやむをえませんが、当サイトに訪問される方にとっては、著名な寺院よりも、関心の高い史跡の一つではないかと思いますので、ここに紹介させていただきます。
京都市の中心部にありますので、天候、季節に関わらず訪問が可能です。二条城等を訪問される際に立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。
所在地
京都府京都市中京区蛸薬師通室町西入
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,910円 所要時間 約2時間15分ほど
【京都市営地下鉄】京都駅~四条駅 料金 片道210円 所要時間 約4分ほど
【入館料】0円