日本の城巡り「MARO参上」

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佐和山城(滋賀県)

石田三成に過ぎたる城と評された湖北の山城跡

 

JR彦根駅を最寄りとする主な城は2つあり、一つは100名城の中でも名高い彦根城ですが、佐和山城も同じく彦根駅から肉眼ではっきりと存在を確認できる城跡になります。彦根城が西口にあたり、佐和山城へは東口へ降りることになります。

道中、佐和山城へのルートが示されてはいますので、それに従っていきます。駅からも見える陸橋は歩道が用意されていますので、それを渡り彦根警察の方まで歩いていきます。船町東交差点で龍潭寺(りょうたんじ)までほぼ迷うことはないと思います。登城口はいくつかありますが、この龍潭寺からのコースが一番整備もされていて安全で分かりやすいのではないかと思います。

まず、佐和山城の歴史ですが、佐和山城と言えば何と言っても石田三成の居城で、「治部少に過ぎたるもの二つあり。島の左近と佐和山の城」と有名なセリフがあるほど、三成のイメージが強いですが、佐和山城の歴史は古く鎌倉時代の建久年間(1190~99)に佐保時綱という武将が築城したとされます。

佐保氏は近江の名族・佐々木六角氏の一族で、その後も佐々木一族が支配しますが、次第に近江が群雄割拠してくると佐々木一族だった京極氏が統治していた佐和山城を浅井長政が奪い取り、長政もこの城の城主をつとめていました。

その後、長政は周知の通り、同盟関係にあった織田信長の元を離れ、信長に滅ぼされますがその後は、信長の重臣だった丹羽長秀も佐和山城の城主をつとめています。

石田三成が佐和山城に入ったのは天正19(1591)年、堀尾吉晴の代に代官として入城。文禄4(1595)年に晴れて19万4,000石の大名として佐和山城の城主となったとされます。

光成は城下に善政を施したとされますが、慶長5(1600)年に関ヶ原合戦で三成自身敗れ、佐和山城を守った父・正継、兄・正澄も自刃し、落城します。その後、井伊直政が入り、慶長12(1607)年に死去した直政を継いだ直継が彦根城に移り、佐和山城は廃城になったというのが歴史です。

現在の佐和山城は龍潭寺さんの私有地になっていますので、その注意をしっかり守らないといけません。まず入山規制として午前9時から午後5時(冬は午後4時)までとされていますので注意しましょう。さらに野生の猿や、夏季は蜂にも注意が必要です。

ハイキング道は山城に慣れている方ならよく整備されていると感じるでしょうし、あまり経験がない方なら鬱蒼とした獣道と思われるのではないでしょうか?いずれにしても滑りやすい箇所があるので足元だけはしっかりした履物が必要だと思います。

龍潭寺コースは搦め手になり、まず塩硝櫓跡に入り、すぐに西ノ丸に。土橋らしき跡がこの間をつないでいました。そして本丸に入りますが、ここに石碑が設置。ベンチも設けてあり、トイレ、自販機などはありませんがしっかりと整備されています。さらに奥に千貫井の方へ移動するとわずかに残された石垣があります。
明らかに櫓台と分かる地形ですので、恐らく天守台でしょう。この本丸はかなり広大です。

城跡としては千貫井の先にさらに二ノ丸や、また落城の際に女中が身を投げたとされる女郎谷等がありますが、訪問時は天候が怪しかったため、散策は千貫井まで。山自体はすぐに尾根が見えますし、低山なのですが城域は広大なので多少時間は余裕を持って訪問されることをオススメします。

徹底的に廃城の際に破壊された城のため、三成時代のものがどこまで残されているか怪しいものはありますが、関ヶ原の西軍のッ事実上の大将だった石田三成の居城だったというだけでも戦国ファンの方は訪城する価値があると思います。

多少自然の危険もあるので冬季の天候がよい日をオススメします。

近くのオススメすぽっと

近江ちゃんぽん亭彦根駅前本店さん。滋賀県でよく見かける近江ちゃんぽんのこちらが本店になるようです。長崎ちゃんぽんとは根本的に味も違いますね。和風出汁でトンコツではありません。デフォルトも美味しいですが、写真は変わりメニューの「チゲちゃんぽん」。お出汁がよく出ているだけに、辛味噌もよくあっていました。
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所在地

滋賀県彦根市佐和山町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR山手線】新宿駅~品川駅料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線ひかり】品川駅~米原駅料金 片道12,600円 所要時間 約2時間10分ほど
【JR東海道本線】米原駅~彦根駅料金 片道190円 所要時間 約4分ほど
【入館料】0円

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