鎌倉幕府将軍が宿泊したと伝わる城館跡
JR、京急の鶴見駅を降りてすぐの所にある名刹・總持寺(そうじじ)が城跡と伝わります。訪問にあたっては東横の大倉山駅から徒歩で行きましたが、この一帯が実に起伏に富んでおり、今でこそ開発されていますが往時は要害の地であったことが想像できる場所です。
總持寺も駅から見て高台に位置し、地図を見ると東側から城跡を囲うように鶴見川が流れていることから、恐らくは天然の濠の役目を果たし、中世武士が城館を築くには適した場所であることがわかります。
城ファンのバイブル的存在である「日本城郭大系」にはこの鶴見館のことは触れられていませんが、同書の前身とされる人物往来社出版の「日本城郭全集」にこの城館のことが触れられていますので、歴史背景を紹介します。
鎌倉時代に秋田城之介義景がこの地に館を構えていたとされ、仁治2(1241)年には鎌倉幕府4代将軍・源頼経(九条家出身で一般的には藤原姓)が鶴見館に立ち寄ったと「吾妻鏡」に記されているそうです。
同「吾妻鏡」によるとさらに時代を遡り、元久2(1205)年に起きた鎌倉幕府有力御家人の畠山重忠と、執権・北条氏の争いとなった「二俣川の戦い」で重忠に従い討ち死にした、鶴見平次が鶴見にいたとされ、ひょっとするとこの人物が鶴見館の始まりかとも推測されていますが、それは定かではないとのことです。
残念ながら現在は立派な總持寺が建立されているのと、周辺は開発されているため城館としての遺構は見あたらず、また石碑や解説板の類も用意されていないことから、ここが城館伝承地として訪問しても、正直「本当に城跡に言ったと言っていいか」不安になる場所です。。
ただ寺院とすれば敷地も広大で、建物の多くが明治時代の火災で焼失しているため、歴史価値はやや低いかもしれませんが、それでも多くの建築物が登録有形文化財に指定されているほか、第二次世界大戦直後の総理大臣・芦田均や、石原裕次郎などの大物の墓所もあるなど、その寺院としての「格」が伝わってくると思います。
季節や天候に左右されずに訪問できますので、鶴見に寄られる機会があれば一度、寺院としてでも訪問されてみてはいかがでしょうか。
所在地
神奈川県横浜市鶴見区鶴見
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円