三木合戦では毛利の支援を受け戦った城跡
高砂城は室町時代に荒井村構主の杉岡蔵人とされ、現在の道なりでは2.5キロ強ほど北側に位置する小松原城の小松原永春らと共に嘉吉元(1441)年、播磨守護の赤松満祐の元で山名持豊(宗全)と戦ったと伝わります。
その後、杉岡氏から梶原景行(景秀)に高砂城主は移り、その頃は三木城の別所氏に従ったとされます。天正6(1578)年~天正8(1580)年の三木合戦では別所側の城として東は明石までの制海権を持ち毛利氏の支援を受け、羽柴秀吉による三木城の兵糧攻めに対抗するため、軍兵や兵糧の陸揚げを試みるも、三木城の落城に伴い作戦は終了。
小松原城と共に放棄されたと日本城郭大系に記されています。
池田輝政が姫路城に入ると目代として中村主殿助が高砂城に入城。大船(城矢丸、吉田丸、日本丸)を建造し市街地の復興を図ったとされます。慶長9(1604)年に輝政の指示で堀川を新設し米穀の運送も行ったとされますが、本多忠政が姫路城の主になると慶長20(1615)年に一国一城令が徳川2代将軍・秀忠により出され、高砂城も廃城となり代わりに、高砂浦にあった牛頭天王(ごずてんのう)を遷座。今の高砂神社になったとされています。
境内の一角にはその頃の石垣が残っているそうですが、この情報は知っていましたが結局どれかよく分かりませんでした・・・
恐らく正面から神社に入ると左手に高砂城の石碑がありますが、そのさらに奥の方向だと思います(本殿から逆はくまなく調べましたので)。
ちなみにこの石碑の隣に建つ銅像は池田輝政らではなく、海運で力を発揮した江戸時代の実業家・工楽松右衛門という人物だそうです。
他に遺構と呼べそうなものは残されていませんが、すぐ北側には大きな運河があり、この一帯が中世はまさに海運の発達したエリアで、三木合戦の頃は多くの毛利軍の船も入り賑わった(という表現も違うかもしれませんが)のではないかと想像できます。
電車での最寄は山陽電鉄の高砂駅になるのですが、管理人はJR宝殿駅から「駅リンくん」というレンタルサイクルを借り(2015年11月現在では310円で利用可能)、文中に何度か登場した小松原城を経て高砂城まで駅から道なりに片道5キロを越えますが訪問しました。
この宝殿駅は高砂城のある南側だけでなく、三木合戦では同じく別所氏に味方し、秀吉軍によって落城させられた城が駅北側にも集まります。
その中の一つには2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でもお馴染み、秀吉方軍師・黒田官兵衛の妻・光(てる)の実家である志方城等もあり、長距離にはなりますが歴史ファンの方であれば、疲れも忘れて夢中に城巡りを楽しめるエリアですから、体力に自信のある方は同じくレンタサイクルを利用され、駅の北側、南側の城跡を一気に巡ってみられるのも面白いと思います。
周辺は完全に市街地として整備されていますので、自転車をせず、高砂駅から徒歩で向われるのであれば、よほどの大雨でなければ(近くに文中にも登場した運河もあるので危険です)天候に左右されず、季節も問わずに手軽に訪問できる城跡です。
所在地
兵庫県高砂市高砂町東宮町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線ひかり 品川駅~西明石駅 料金 片道15,420円 所要時間 約3時間18分ほど
【JR在来線】JR山陽本線 西明石駅~加古川駅(新快速停車駅・乗換え)~宝殿駅 料金 片道320円 所要時間 約18分ほど
【入館料】無料