後北条家の重要拠点として君臨した戦国の名城
様々な歴史小説にも登場する関東の戦国時代を語る上で欠かせない名城・玉縄城。
後北条家初代の北条早雲により1513年に築城されたと伝わります。上杉謙信、武田信玄それぞれの小田原攻めの際にも謙信は玉縄包囲を解除。信玄にいたっては素通りを決め込むなど難攻不落の名城として名を馳せました。
1590年の小田原の役で、徳川家康によって城主・北条氏勝は降伏し開城となりますが、その後の豊臣政権下、徳川政権下においても玉縄城は重要視され、徳川政権下では家康側近の本多正信などの居城となり1703年の廃城まで使用されたそうです。
昭和30年ころまでは遺構も確認できたそうですが、現在は城跡地は清泉女学院という女子校が入り、警備上の問題などから自由に見学することはできません。
最寄のJR大船駅から片道2.5キロほど離れますが、徒歩で訪問すると本当に往時の要害さを十分に感じれる地形です。石碑も学校敷地内に関してはさすがにカメラを向けずらいですが、学校敷地外にも残されている石碑の場所をこのページの下にある地図に示しておきます。
その石碑付近の近くに古びた標識があり「玉縄城付近」とあるので、そのまま道を辿れば学校の裏門に到着しますが、ここが往時の大手門だったそうで、さらにその先には七曲坂と呼ばれる古道があり、ここは大手道の役割を果たしたそうです。やや余談ですが、落城時の城主・氏勝の父、氏繁の妻がこの近くに居を構えたそうで「七曲殿」と呼ばれたそうです。
七曲坂は雰囲気のある急坂で、雨の日などは多少危険でないかと思うほど。
七曲坂を降りきったすぐ左手には公園があり、その公園に玉縄城の案内板が設置されています。
基本的には宅地化も進んでおり、遺構とよべるものは少ないのですが、学校敷地内には「諏訪壇」と呼ばれる土塁もあるそうですが、訪問したのが平日の昼下がりで、さすがに男一人で女子校のまわりをカメラを持って散策はできないので訪問はしていません。
実際体力は必要ですが、さらに近くの二伝寺砦などの支城も散策していくと今も変わらず、この近くがいかに戦国期に軍事的な重要拠点になりえたのかがよくわかるスポット。見所は七曲坂(城内の遺構ではないですが・・・)付近で往時の雰囲気を感じるくらいなのですが、名城・玉縄城へ訪問できたという事実だけでも十分満足を得られた場所でした。
近くのオススメすぽっと
JR大船駅を降りると一際目立つ大きな観音像の大船観音。街のシンボル的存在です。拝観料は大人300円です。
洋食チェーン店の「つばめグリル」さん。チェーン店といえど本格的な洋食をお手軽に楽しめます。
「つばめグリル」さん公式サイトはこちら
JR大船駅東側スグの横浜家系ラーメン「大原家」さん。カウンターのみの昔ながらのお店は気取った感じもなく居心地のいい空間です。肝心の味も太い麺がよく馴染む濃い目のスープがとても美味しかったです。
食べログの紹介ページはこちら
所在地
神奈川県鎌倉市城廻
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】無料