幾度も戦乱の舞台になった尼崎の古城
城跡の多い兵庫県尼崎エリアですが、この富松城は阪急武庫之荘駅からしばらく歩くと、「富松城跡前」という交差点があるので道に迷いにくい場所に存在しています。
土塁や空堀が残るこの城は、正式に築城した人物などは不詳のようで、薬師寺氏なる一族が平安時代より、この付近の富松荘の荘園管理を行い、城(おそらく居館レベルでしょうが)を築城したと考えられているようです。
室町時代に管領家の細川氏が分裂し争うと、有岡城や尼崎城、越水城などのこの地域の重要拠点の中間地点に位置することから、幾度も戦乱の舞台になったとのこと。
1519年の「越水城の戦い」で細川高国がこの城に布陣したとされ、高国が撤退すると、対立していた細川晴元派の再び薬師寺氏がこの城に入り、さらに奪回に動いた高国派に寝返りながらも城主をつとめるも、高国が1531年に「大物(だいぶつ)崩れの戦い(尼崎)」で敗れ自害すると、しばらく富松城も使用されなくなったそうです。
その後、川西の「一庫城の戦い」で三好長慶に対立した木沢長政の軍が入城するも、長慶軍の反撃にあい落城。その後は三好方によって支配されていたと考えられますが、織田信長が関西に進出した後は、いつこの城が廃城になったかなど、不明な点も多いようです。
「バーチャル博物館-富松城歴史博物館」 というサイトで、詳しく歴史などが紹介されていますので、こちらも参考になさってみてください。
さて現在の富松城ですが、ほんの一区画にすぎませんが表通りから路地裏に入ったところにある駐車場付近から見ると土塁の高さなども分かりやすいです。
周辺は開発されているため往時の地形は想像しづらいですが、地図を見ると東側に川が流れる以外は戦国時代を駆け抜けた要塞に相応しい土地とはあまり思えないですが、やはりわずかでも当時の遺構を楽しめるのはうれしい限り。土塁などには直接入ることはできませんので注意が必要です。
見所が決して多いとは言えないのですが、同じ尼崎エリアを攻めるもよし、阪急沿線を幅広く攻めるもよし。阪神エリアの城めぐりをしやすい場所にあり、この地域では唯一といってもいい遺構が残される城跡でもあるので必見ですよ。
所在地
兵庫県尼崎市武庫之荘東2
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅 料金 片道14,250円 所要時間 約2時間26分ほど
【JR在来線】JR東海道本線 新大阪駅~大阪駅 料金 片道160円 所要時間 約4分ほど
【阪急線】神戸本線 梅田駅~武庫之荘駅 料金 片道220円 所要時間 約15分ほど
【入館料】無料