日本の城巡り「MARO参上」

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大溝城(滋賀県)

明智光秀が縄張りした信長の甥・津田信澄の城

 

滋賀県高島市。2005年に合併新設された街で、そのため市域が相当広大になったため、管理人のようにしばらく関西から遠ざかっていた方には、旧高島町といったほうが場所がイメージしやすいと思います。

JR湖西線の近江高島駅で降りると、目の前にガリバーの像が建っている広場があり、その右手に総合病院があります。その病院の駐車場部分と隣接した場所に大溝城の天守台などが残ります。

明智光秀の縄張りとされ、城主は若かりし織田信長に叛き、殺害された実弟の信行の嫡男・津田信澄(父の一連の事件の関係で織田氏を名乗らず、津田氏を名乗ったそうです)。
しかし、信澄は信長には大変気に入られ重宝されていたようです。
浅井長政を滅ぼした後、信長は信澄を、高島を治めていた磯野員昌の養子に入れ、その後、信長が員昌を追放するような形で信澄に、高島の地を与え、この大溝城が完成したとされます。

天正10(1582)年に「本能寺の変」で信長が斃れると、光秀の娘を妻にしていた信澄にも嫌疑がかけられ、四国征伐の副将の一人として大阪にいた際に、丹羽長秀らの軍によって野田城大阪城内の二の丸千貫櫓とも伝わります。)で殺害されました。享年28歳の若さだったそうです。

その後、この城はいくつか城主を代えながら、豊臣秀吉の時代には京極高次が城主をつとめます。
訪問した時が2012年の5月で、前年のNHK大河ドラマ「お江」の影響でしょうが、高次の妻だった浅井三姉妹の次女「お初」が新婚生活をすごした城としても現地では解説板などで説明されていました。

現在の地形も琵琶湖はすぐ近くですが、当時は琵琶湖の水を取り込んだ水城だったそうです。

慶長8(1603)年に一度は廃城になり、あらためて徳川幕府が成立した後の元和5(1619)年に分部光信が2万石でこの地に入り、大溝藩を樹立。
かつての大溝城三の丸付近に大溝陣屋を建て、その惣門は現在も残されています。

さて、この大溝城ですが、この近辺は個人的に相当思い入れがありました。20代の頃、当時の愛車スカイラインでよく琵琶湖一周などを楽しみ、この湖西エリアは毎週通っていました。

そんな懐かしの旧高島町にも、天守台の石垣が残る城跡があることを知り、迷うことなく訪問。残された遺構はわずかですが、はっきりとそれと天守台の形がわかる形で残されていることに感激しました。

小ぶりな天守ではありますが、一応天守台の上に上がることもできます。ただ初夏に訪問したため、足元で突然カエルが跳ねたり、また一匹でしたがスズメバチに一時追いまわされるなど、少し怖い目にも・・・
街中の平城跡ですが、暖かい季節の訪問は、ちょっとした小さな森のようになっているため、多少は注意をした方がいいかもしれません。

湖西線は電車の本数なども少なく、公共交通機関での訪問は少し躊躇してしまうところもありますが、旧高島町域だけでもゆっくりと歴史散策が楽しめるのでオススメですね。ただ大型ショッピングセンターなどが駅前にはない街のため、トイレなどには多少不便な場所だと付記しておきます(訪問時、駅前にコンビニが建設中だったため、今は少し変化しているかもしれませんが)。

所在地

滋賀県高島市高島町勝野

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【JR在来線】湖西線 京都駅~近江高島駅(新快速停車駅) 料金 片道820円 所要時間 約40分ほど
【入館料】無料

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