日本の城巡り「MARO参上」

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三木城(兵庫県)

三木の干殺しで著名な戦国大名別所氏の居城跡

 

神戸電鉄の三木上の丸駅に隣接した上の丸公園が三木城の本丸跡になり、英賀城御着城と並び「播磨三大城」と呼ばれた広大な城です。

そしてもう一つ三木城が有名なのが、秀吉の武将・竹中半兵衛が最期に戦ったのがこの三木城を攻撃した三木合戦の舞台としてです。

三木城は釜山城とも呼ばれ、別所則治が築城したとされます。時期的には文明15(1483)年に主君である守護大名・赤松政則が山名氏との戦いに敗れたあと、同じく赤松家臣団の一人であった実力者・浦上則宗に追われてしまい、それを前足利将軍だった義政と対面させ家督を安泰させ、赤松家臣団の中で、先の浦上氏と並ぶ実力者になった以降だと日本城郭大系に記されています。

その後、幾度も播磨の戦火を経験した三木城ですが、三好氏全盛期にはその傘下に入り、その後は織田信長が勢力を伸ばすと永禄11(1568)年頃には別所安治が信長方に移り、そのまま5代目の長治に別所の当主が代わります。

長治も当初は信長方の武将として活躍しましたが、天正6(1578)年、信長の毛利攻めの先導を務めるはずが、加古川城での羽柴秀吉との会談で決裂し、毛利氏について信長方と対立してしまいます。

ここからが三木城が戦国史で有名になる「三木合戦(1578~1580)」の始まり。俗に言う「三木の干殺し(ひごろし)」で兵糧攻めにあい、壮絶な状況に置かれたとされます。

三木城は本城、新城、鷹尾山城から成立していたとされ、その兵糧攻めに疲弊した別所軍は、新城、鷹尾山城を落とされついに本城攻撃の勧告を受け、天正8(1580)年に城主・別所長治らの自刃を条件に開城、城兵の開放が行われました。

その後も秀吉が、黒田官兵衛こと孝高に姫路城を譲られ居城とすると、この三木城もその支城として存続。その後徳川幕府成立後の元和元(1615)年の一国一城令で、姫路城がすでに播磨の中心であったため三木城はその役目を完全に失い廃城となってしまいました。

現在の三木城はかつて地獄絵図と化した兵糧攻めにあった城跡とは思えないほど、閑静な住宅地の中の整備された公園となっています。

城壁は模擬ですが、その切岸跡の峻険さなどを見れば、いかに当時守りの固い城であったかが分かります。

本丸以外にも鷹尾山城付近にも遺構が残るとされますが、訪問当時は他の秀吉方の陣地にも行きたかったため断念。図書館に足を伸ばしましたが、その建物脇に二ノ丸の解説板が設置されていました。

ほかにも住宅地を歩いてみると、堀跡と思われしき地形などを確認でき、往時の姿をほんの少し垣間見ることができます。

戦国史上にも著名な三木城ですが、攻撃方の秀吉の陣城(平井山本陣等)も多数ある三木の歴史散策は、できれば冬場の天気のよい日にゆっくりと楽しみたいところです。

所在地

兵庫県三木市上ノ丸町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新神戸駅 料金 片道14,670円 所要時間 約2時間44分ほど
【神戸地下鉄】西神・山手線 新神戸駅~湊川公園駅(乗換え・徒歩) 料金 片道230円 所要時間 約7分ほど
【神戸電鉄】湊川駅~三木上の丸駅(粟生行は1時間1本程度です) 料金 片道610円 所要時間 約40分ほど
【入館料】0円

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