夢幻と消えた天下無双の織田信長の居城
言わずと知れた織田信長が天下統一を目前に滋賀の安土山に築城した総石垣の山城です。
ポルトガル人の宣教師、ルイス・フロイスをして母国の建造物と比較しても気品があり壮大なものと言わしめた「天主」があったことでも有名です。
安土城は1576年に丹羽長秀に命じ築城を開始、3年後には天主も完成し、信長が移り住んだと言われます。
「本能寺の変」の直前に明智光秀が饗応役となり、徳川家康を招いての宴が催されたのもこの城。
1582(天正10)年の「本能寺の変」で信長が横死すると、光秀の重臣・秀満が入城。しかし、すぐに山崎の合戦で光秀が斃れると、秀満は坂本城に移り、その際に安土城を火にかけたという説がありますが、これは現在では可能性が低いとされているようで、その後さらに城に入った、信長の次男・信雄によって天主などが焼失したとも伝わります。
いずれにしても短命に終わった天下無双の名城は豊臣政権下、徳川政権下でも日の目を見ることはなかったわけですが、まず第一印象は「すごい」としか形容のしようがないほど石垣の美しい城。
現在の城域としてはもっとも山麓側に豊臣秀吉、前田利家の居館跡、さらに上層に徳川家康の居館(この時点では家康は臣下ではないですが・・)、さらにその上層には信長が寵愛したともされる森蘭丸の居館跡などがあり、これらの名前を見るだけでもこの城の「凄さ」を想像することができるというもの。
山頂までまっすぐに伸びた総石垣の大手道を上がっていくと本丸にたどり着きますが、ほぼ直線。防御施設としての「山城」という概念は戦国の寵児・信長にはなかったのでしょう。
さらにその上に組まれた天主台(この安土では天主と称するので、天主台としました。)に高さ30メートルを越えたと言われ最上階は黄金色に輝いたと言われる天主があったわけですし、まさに天下人の威容を示しきったとしか言いようがありません。
城の順路通りに進めば、当時からの数少ない建造物として摠見寺三重塔が残りますが、この塔が見てきたであろう往時の姿を見たくて仕方がない名城は、城郭ファンならずとも必見です。
所在地
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線ひかり】品川駅~米原駅料金 片道11,860円 所要時間 約2時間10分ほど
【JR東海道本線】米原駅~安土駅料金 片道400円 所要時間 約25分ほど
【入館料】入山料500円