日本の城巡り「MARO参上」

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洲本城(兵庫県)

賤ヶ岳の七本槍の一人、脇坂安治らが統治してきた淡路の城跡

 

淡路島にある国の指定史跡である洲本城は、永正年間(1504~21)から大永年間(1521~28)にかけて安宅氏が築城したと考えられ、「細川両家記」には安宅氏が三好一族に従って以降は、安宅冬康が三好長慶と洲本で会談したとありますので、おそらく洲本城内で会っているのでしょう。

冬康は足利義輝と三好長慶の間で争いが起きると機内へ。しかしなぜか永禄7(1564)年に飯盛山城で兄でもあった長慶に殺害され、安宅氏は信康が継いだとあります。

信康は初め石山本願寺に味方しますが、後、織田信長に仕え毛利とも対決します。しかし天正6(1578)年に信康が病死し、弟の清康が跡を継ぐと信長を裏切り、毛利に味方したため天正9(1581)年、羽柴秀吉に攻撃され由良城にいた清康は落城降伏。

清康は許されるもすぐに病死。以後は菅氏を経て仙石秀久が統治。天正13(1585)年からは「賤ヶ岳の七本槍」の一人である脇坂安治が統治。慶長14(1609)年まで洲本を治めたとあります。

以後、藤堂高虎を経て(高虎は来島しなかったとあります)、姫路の池田輝政三男の忠雄が治め、元和元(1615)年、大坂の陣が終わると阿波の蜂須賀至鎮(よししげ)に淡路一国が加増され、稲田氏が代官として赴任。寛永7(1630)年に淡路の中心を由良から洲本に移す計画が実行され、10年以上かけて現在見る洲本城が完成したとされます。

現在三熊山の頂上にある「上の城」は稲田氏の城。史料館や裁判所などがある「下の城」は蜂須賀氏の城館として整備され、明治維新まで続きましたが、両氏の微妙な関係は明治3(1870)年に稲田騒動として、結果、徳島県(当時は名東県)だった淡路島は兵庫県に編入される歴史を辿ります。

現在、下の城にあった蜂須賀氏の金天閣が上八幡神社内に移築されていますが、ほぼ建造物の遺構は残されていません。

しかしこの城の見所は圧巻の石垣。特に上の城の石垣はすべて見て回るなら相当な時間と体力を擁します。

西の丸が地形的にやや独立した丘陵上にあり、途中、本丸と洲本港を見渡す景色は絶景。西の丸は先端から「降りる」場所がありますがそこでは西の丸の見事な石垣を堪能することができます。

本丸には昭和3(1928)年に建てられた模擬天守がありますが、2017年2月に訪問した際は、中に登ることはできませんでした。

淡路島には電車が走っていないため、島内の他の城も回っていくとなると車での訪問が必要。管理人は他の城ファンの方に京都から車で連れていって頂いたので、洲本城以外も見学できましたが、自家用車の準備が難しくても高速バスの終点、洲本バスセンターからも近いため、訪問は可能と思います。

上の城は山城ですが、かなり整備も行き届いていますので一部を除けば一年を通じて安全に訪問することが可能と思います。
一見の価値のある城跡です。

近くのオススメすぽっと

淡路島へは車で訪問される方が多いと思いますが、島内唯一のサービスエリアは明石海峡大橋も展望できるなど景色もよく、またお土産の購入、ちょっとした淡路島名産を楽しむのにも最適です(写真はしらす丼)。
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所在地

[ 上の城 ] 兵庫県洲本市小路谷
[ 下の城 ] 兵庫県洲本市山手1

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新神戸駅 料金 片道15,100円 所要時間 約2時間40分ほど
【本四海峡バス】くにうみライナー・かけはし号 JR新神戸駅~洲本バスセンター 料金 往復3,330円 所要時間 約1時間30分ほど
【入館料】洲本市立淡路文化史料館 大人・400円、高校生・大学生・250円、小学生・中学生・100円

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