日本の城巡り「MARO参上」

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尼崎城(兵庫県)

戸田氏が整備した四層の天守を持った近世城郭

 

尼崎城に初めて訪問したのは、まだ東京在住時代の2010年頃。当時は尼崎城址公園のみの訪問に終わっていたので、再訪問をしようと考えていましたが、なかなか機会に恵まれず2015年の6月にようやく再訪問しました。

当時訪問した冒頭の城址公園は三の丸の一部となり、本丸は明城小学校の辺りとされています。

では改めて尼崎城の歴史を、日本城郭体系を参考に紹介させていただきます。まず、永6(1526)年には細川高国が細川尹賢(ただかた)に命じ、先の小学校(本丸)内に城館程度の規模の物を築かせたとされています。

城郭体系では戦国時代のことは省かれていますが、織田信長に反旗を翻した荒木村重も関係人物の一人。信長に逆らい篭城した有岡城からこの尼崎城へ移り、さらにこの城を出奔し花隈城へさらに移動。その後は中国の毛利氏の下へ逃走した歴史も持ちます。

その後、豊臣政権時代は建部氏が尼崎に入りましたが、徳川幕府時代に入ると元和3(1617)年に戸田氏鉄が近江の膳所から5万石で入城。新生尼崎城の建造を幕府に命じられ四層の天守閣を持ち完成させます。

氏鉄はさらに10万石に加増され美濃の大垣へ移封されると、青山幸成が遠江の掛川から3万3000石で入城。4代青山氏が尼崎を統治しますが、同じく掛川から正徳元(1711)年に松平忠喬(ただたか)が4万8000石で入ると、幕末まで松平氏が尼崎を統治することになったとされます。この時点で天守閣なども残っていたそうですが、明治新政府の廃城令(1873年)に従い、明治8(1875)年に尼崎城は取り壊しになったとあります。

現在市街地化され、遺構はほぼ残されていませんが、旧城内に面影をいくつか残しています。まず旧三の丸内にある櫻井神社本殿前には、天守の棟瓦が展示されています。さらに明城小学校の裏側にある尼崎市立文化財収蔵庫には尼崎城が出土した石が展示されているほか、館内には尼崎城の資料も展示されています。

そして何度か文中で紹介させて頂いた明城小学校には石碑が設置されています。またこの記事は2017年1月に書いていますが、なんと来年2018年には家電量販店エディオン創業者の安保詮(あぼあきら)氏が私財10億円を出して天守閣を復興、完成することが発表されました。

どんなことになるのか分かりませんが、少なくとも尼崎城を風化させずに、後世まで語りついで行こうとのことだと思いますので、純粋に城ファンとしては楽しみにして待ちたいと思います。また完成次第、改めて尼崎城へ訪問してみたいと思います。

所在地

兵庫県尼崎市北城内・南城内

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅 料金 片道14,450円 所要時間 約2時間26分ほど
【JR在来線】JR東海道本線 新大阪駅~大阪駅 料金 片道160円 所要時間 約4分ほど
【阪神本線】梅田駅~尼崎駅(特急・急行停車駅) 料金 片道240円 所要時間 約10分ほど
【入館料】0円

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