日本の城巡り「MARO参上」

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姫路城(兵庫県)

羽柴秀吉、黒田官兵衛ら歴戦の武将ゆかりの世界文化遺産

 

平成5(1993)年12月に日本で初めて世界文化遺産に登録された(奈良法隆寺と同時)姫路城。その歴史は赤松貞範が貞和2(1346)年に「姫山」とされるこの地に築城したのが初めとされます。

しかしわずか数年で貞範は庄山(しょうやま)城に移り、後には小寺氏が入城。以後、小寺氏の居城として姫路城の歴史は進んでいきます。

戦国時代に入ると永正16(1519)年に小寺政隆は御着(ごちゃく)城に移ってしばらく後、天文14(1545)年に黒田官兵衛(如水)として著名な孝高(よしたか)の祖父・重隆が城代として姫路城主になります。
この時代以降の歴史が姫路城史としては著名かと思います。
※ 以後当サイトでは孝高は官兵衛として紹介していきます。

官兵衛は織田信長の家臣団時代から羽柴秀吉管轄に入りますが秀吉が、天正8(1580)年に三木城の別所長治を滅ぼし播磨を平定すると自身は妻鹿(めが)城へ移り秀吉に姫路城を譲り、秀吉が姫路城主に就きます。
この頃、初期の天守閣も建造されたそうです。

しかし姫路城が今ある姿に生まれ変わったのは、その信長、秀吉の時代が終わり、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの論功で播磨52万石を与えられ池田輝政が入り、徳川氏の庇護の下で城を大改修。今にみる連立式の天守閣などが整備されていったとされます。
まだ当時は豊臣氏が大阪城に存在した時代でしたが、大坂の陣で豊臣氏が滅ぶと、姫路城は本多、榊原、松平、酒井といった徳川氏にもともと縁の深い武将が入り、最後は酒井氏が城主の代に明治維新を迎えます。

さて現在(2014年1月)の姫路城は現存天守閣が平成の大修理「国宝姫路城大天守保存修理工事」期間で見学が限定されていますが、その状態でも見所満載!

※2014年9月初旬に再訪問。
まだクレーンなども残されていますが、白亜の天守閣が再び姿を現しました!

天空の白鷺と名づけられた工事現場見学は叶いませんでしたが、じっくりと見学可能な城内を散策すると、姫路城は「ただ美しいだけ」の城でないことが十分に伝わってきます。

さすが、徳川氏と豊臣氏が対立した時代に現在ある姫路城の基礎が築かれただけあって、その城は戦闘施設としての性格を十分に醸し出しています。

徳川秀忠の娘で千姫が大坂の陣で豊臣秀頼と死別すると、新たに本多忠刻と再婚。忠刻が姫路に移ると、千姫は10年近く姫路城で過ごしたそうで、よく利用したとされる化粧櫓の内部も見学可能ですが、この櫓は長局(百間廊下)と続いているのですが、途中に頑丈な門が設置されていたり、その他にも防衛設備が見受けられ、華やかな歴史だけが姫路城でないことがここからも伺い知ることができます。

このサイトを見て頂いている方は、ただ旅行ファンというだけではなく、お城に関心がある方が多いと思いますので、ぜひ天守閣だけでなくじっくりと城域を散策されることをオススメします。
そのスケールに圧倒されること間違いなしの文句なしの名城です。

近くのオススメすぽっと

姫路名物のひとつ「姫路おでん」は生姜醤油で食べるのが特徴。街にはいろいろなお店がありますが、姫路城前の「はりまっこ」さんで頂きました。リーズナブルで店内も清潔でおすすめです。このお店は福祉のお店ということで、障害を持った方と健常者の方が一緒に働かれているお店らしいです。
ぐるなびの紹介ページはこちら

姫路名物の一つ「御座候」。今川焼き、回転焼きのことですが、「御座候姫路駅店」さんは姫路駅構内にお店があるので、サクッと姫路名物を味わいたい方にもオススメです。
食べログの紹介ページはこちら

所在地

兵庫県姫路市本町68

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~姫路駅 料金 片道15,910円 所要時間 約3時間1分ほど
【入館料】大人400円、5歳~中学生100円(2014年1月時点 ※天空の白鷺は別料金)

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