大久保利通が生涯を終えた「紀尾井坂の変」の現場
明治11(1878)年5月14日、東京紀尾井坂で加賀藩の足軽出身の島田一郎ら6人は、明治天皇に謁見するために、馬車にて赤坂仮御所へ向かっていた大久保利通を襲撃。
その死は頭部を中心に襲撃を受け、最後は首に突き刺された刀が、地面にまで到達していたとも言われます。
紀尾井坂の変と呼ばれるこの事件の起きた場所は、今の清水谷公園の辺りだったと伝わり、明治21(1888)年に有志によって哀悼碑が建てられています。
紀尾井坂の変は、西南戦争で西郷隆盛、桐野利秋らが鹿児島の城山で全滅した明治10(1877)年9月24日から1年も経たないうちの出来事。
維新三傑と称される大久保利通以外の西郷隆盛、木戸孝允ですが、木戸も西南戦争中だった明治10(1877)年5月26日に京都で病死しており、ほぼ3人とも同じような時期にこの世を去ることになってしまいました。
事件を起こした島田ら6人は、そのまま出頭。同年の7月27日に市ヶ谷にて斬首刑に処されました。島田一郎は維新後、陸軍に入り中尉にまで出世しており、島田もまた西郷らと行動を共にしようと試みて、その地位を捨てて士族の窮状を訴えた一人でした。
大久保の哀悼碑が建つ清水谷公園のすぐ近くには赤坂見附跡の石垣や、紀州徳川家の屋敷跡の石碑。
さらには明治7(1874)年、同じく維新の立役者の一人で維新十傑の一人と称される岩倉具視が、襲撃(軽傷で済んでいます)された喰違坂も近くで、そこには喰違見附跡の土塁が残ります。
近代的な街並みの赤坂見附ですが、一歩中心部から離れると、多くの史跡が眠る街です。ぜひ清水谷公園含めて、天気の良い日に、歴史散策を楽しんでいただきたいスポットです。
近くのオススメすぽっと
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所在地
東京都千代田区紀尾井町2
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】無料