織田信長の三男信孝が暮らした城跡
神戸(かんべ)城は鈴鹿市の中心部に近い位置に存在する平城。現在の公園化された一帯と、隣接する神戸高校が中心部であったとされます。
神戸城は織田信長の三男・信孝の居城として著名ですが、築城したのは伊勢亀山城の関氏の流れを汲む神戸氏が神戸城のすぐ近くの沢城を築き、この地方を治めていましたが、天文年間(1532~1555)に神戸利盛によって築かれたと日本城郭大系に記されていますが、明確な時期は不明とのことです。
信長が伊勢に滝川一益を侵攻させると、永禄11(1568)年に神戸友盛が信孝を養子に迎えることで和睦。元亀2(1571)年に信孝が神戸城主になりますが、まだ織田軍に敵対する勢力が奪還計画を立てていたそうです。
それらの心配事が晴れた天正8(1580)年に信孝は神戸城の拡張工事を開始。五層の天守閣だけでなく二の丸御殿や小天守まで備えた本格的な近代城郭が完成したとされます。
しかし天正10(1582)年、四国遠征中に本能寺で信長が討たれると、織田の家督争いでは柴田勝家と組んで、羽柴秀吉・兄の信雄と対立。敗れた信孝は翌年切腹させられます。
その後神戸城は滝川一益の娘婿だった雄利(かつとし)らが城主を務めるも、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで西軍に与したため領地没収。以後、城主を転々としながらも幕末まで近江膳所藩の本多氏の支藩として再スタート。後、本多忠統が再度城を築きなおす許可を得、天守閣の再現などはできなかったものの、城下町なども再整備されたとされます。
現在整備された公園になっており本丸の天守台などが残されています。その周囲には土塁、水堀も残されています。
思った以上に遺構が残されているエリアが少なかったのですが、天守台に登ってみると、下から見るよりも高さを感じ、ここに五層の天守があったとされるなら、その眺めも相当効いたと思います。
ここは、さすが実質天下人だった信長一族の居城跡です。
キレイに整備されすぎているため、遺構の内容ほど見所十分といった印象はないのですが、市街地中心部にあり、天守台含めこれだけ遺構を楽しめれば御の字。
城跡には危険な場所も特になく、ここは時期や天候に左右されずに気楽に訪問することが可能です。
近くのオススメすぽっと
神戸城と沢城の中間付近にあるラーメン屋「ぐんじ」さん。塩ラーメンで有名な地元の有名店です。チャーシューも食べ応えあるとても美味しいラーメンですが、ここのお店の面白いのは、焦がしネギ油を最初に渡され、半分ほど食べたところで、この油を好みで足すことで、また違った味を楽しむことができます。鈴鹿の城巡りの際のランチに欠かせないお店です。
食べログの紹介ページはこちら
所在地
三重県鈴鹿市神戸本多町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~名古屋駅 料金 片道10,580円 所要時間 約1時間37分ほど
【近鉄線】名古屋線 近鉄名古屋駅~伊勢若松駅(乗換え)~鈴鹿線 鈴鹿市駅 料金 片道820円 所要時間 約1時間4分ほど
【入館料】0円