関ヶ原合戦で城主の妻が槍を持ち戦った城
近鉄名古屋線「津新町駅」東側。市役所や図書館などの施設が並ぶ一角に「お城公園」として整備されています。津はもともと安濃津(あのつ)と呼ばれ、この一帯を支配していた長野氏が築城したと考えられるそうです。
日本城郭大系では大きく二期に分けられ、まず最初の「津城」は織田信長が伊勢に進出。長野氏と対立した後、信長の弟・信良が長野氏に養子に入り、長野上野介信兼と名乗ります。
この信兼が築城し、天正8(1580)年に五層の天守閣を持って完成したとされます。信兼はその後、織田信包(のぶかね)と改名。「本能寺の変」後も豊臣秀吉に仕え、しばらく津を支配しますが、朝鮮の役で、丹波柏原に減封されてしまい、その後は富田氏が津城に入ります。
関ヶ原の戦い(1600年)では、富田氏は東軍につき、西軍3万の大軍に津城は包囲され、城主・富田信高の妻も槍を持って戦ったほどの激闘だったと伝わります。その後、徳川政権が確立してから津城の第二期が始まります。
慶長13(1608)年に築城の名手としても著名な、藤堂高虎が伊勢・伊賀など合わせて22万石で入封してくると伊賀上野城を有事の際の城、平時の居城は津城と使い分けたそうです。
慶長16(1611)年から津城の改修が行われ、関ヶ原の戦いで焼失した天守閣は再建されませんでしたが、城下町含め整備を行い、「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と謳われるほどに栄えたとされます。津は明治維新まで藤堂氏が継いだそうです。
写真などでよく見る隅櫓は復元されたもので、城公園の東側に位置します。そこから城公園に入ると、噴水などで近代的に整備された空間が広がり、向かって左側(西南方向)に藤堂高虎の銅像が用意されています。
その奥の方に見える石垣が天守台となります。
隅櫓の方向から石垣の上に登れますが、手すりなどがないため多少注意は必要。石垣の高さが十分に伝わってきます。
全体的に公園内部は周辺でお仕事をされている方が、お昼にお弁当を食べにこられてきているような、近代的に整備された公園で、遺構を堪能できる設備ではない印象です。
ただ外周を一周しましたが、石垣や水堀などは県庁所在地にある城跡としてはよく溶け込んで、残されているほうだと思います。年中、時期や天候を問わずに訪問できる城跡です。個人的な感想としては、思った以上に石垣と堀に関しては堪能できまずます満足のできた城跡です。
所在地
三重県津市丸之内
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~名古屋駅 料金 片道10,580円 所要時間 約1時間37分ほど
【近鉄線】名古屋線 近鉄名古屋駅~津新町駅(急行停車駅) 料金 片道980円 所要時間 約1時間8分ほど
【入館料】0円