大掾氏と江戸氏が奪い合った戦国時代の水戸城の支城
河和田(かわわだ)城は日本城郭大系によると、建武3(北朝暦では延元元年・1336)年に、初期の水戸城城主・大掾(馬場)氏家臣・鍛冶弾正貞国(川和田入道)が桜川流域の支配のために、水戸城の支城として築城したと記されています。
貞国の子、貞基の代。
鎌倉公方・足利氏満に背き滅亡した小山義政の子が、小田氏一族と共に立ち上がった難台山城合戦(1387年)で、主家・大掾氏の当主が幼かったため、援軍に力も入らず敗戦。
河和田城は佐竹氏に仕えた、江戸通高に与えられました。
その後も大掾氏と、江戸氏の間で水戸領域をめぐる争いは続き、応永33(1426)年に大掾満幹は今でいうイベントのため水戸城を留守にすると、その隙に江戸氏が再び水戸奪回に成功。
河和田城は江戸氏家臣の春秋氏に与えられました。
しかしその後、豊臣秀吉の時代に小田原征伐で秀吉方についた佐竹氏によって水戸城と共に落城。
河和田城は廃城になったとされます。
現在、河和田小学校の付近が本丸と推定され、校内と外周に石碑、碑柱が建っています。
訪問当日、訪れ損ねましたが近くの報仏寺にも石碑や遺構を確認することができるそうです。
この小学校付近にも土塁や、水堀跡を明確に確認することが出来ます。史跡公園として整備されていないのが残念ですが、むしろ史跡として明確に保存されていないにも関わらず、町中に遺構がしっかりと残っているのは珍しいケースではないでしょうか。
豊臣期の佐竹時代、その後の徳川時代の水戸には存在しなかった城ですが、その前、戦国期には水戸城を支える重要な役割を担った城。それと併せて見学しておきたい城跡です。
近くのオススメすぽっと
水戸と言えばやはり水戸納豆。管理人は関西生まれ、関西育ちの生粋の関西人ですが、納豆は元々好物。水戸にはその納豆を使ったB級グルメも多いそうで、人気TV番組「ケンミンショー」でも取り上げられたことがある「納豆トンカツ」という名物料理を楽しめます。管理人が行ったのは水戸城から車だと近い那珂市の「まつば」さん。洋食屋なので他のメニューも充実しています。
食べログの紹介ページはこちら
所在地
茨城県水戸市河和田町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円