日本の城巡り「MARO参上」

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鏡島城(岐阜県)

織田信長らに仕えた石河氏の居城

 

2017年10月、ご子孫の方から連絡をいただきましたので、名称を石川から石河(いしこ)に変更いたしました。

JR西岐阜駅の北側1キロ強の位置にある乙津寺付近に鏡島(かがしま)城があったとされます。城主に関しては2説あるようで、日本城郭大系によると次の二人が挙げられています。

まずは「新撰美濃志」を紹介し、それによると16世紀初めに、石河駿河守光清が築城したとされ、以後織田信長、豊臣秀吉に4代に渡り仕え、鏡島城の城主を務め、光政の直系は徳川幕府の旗本として戦乱の世を生き抜いたとされます。

その光政の弟・光重の子・光元は播磨瀧野城の城主となったとされますが、関ヶ原合戦後一度は失領するも、光元の子・光忠は徳川家康から1万石を与えられ、尾張徳川義直に仕え、以後尾張徳川家の重臣としてこちらの系統も戦乱の世を生き抜いたそうです。

鏡島城のもう一つの城主説は「美濃明細記」で斎藤帯刀左衛門が築城し、以後は土岐氏の家臣安藤氏の持ち城になったそうですが、安藤守竜は織田信長に仕えるも、武田信玄に内通した疑いをかけられ本城だった河渡城とともに立ち退き、本巣郡北方町に移ったと記されています。

さて現在の鏡島城は残念ながら遺構はありませんが、冒頭で紹介させて頂いた乙津寺近くの住宅街内、民家の庭先に石碑と解説板が設置されています。

こちら本当の民家ですので、見学には時間を考えるなど最大限の配慮が必要です。
乙津寺には鏡島城主の供養塔があり、石河光清についての解説板が設置されています。

乙津寺の北側にある小さな稲荷神社にも同様に鏡島城の解説板が設置され、それによるとこのあたりが本丸であったようです。

これら現地の解説板などは、斎藤氏ではなく、石河氏の居城であったことで統一されています。また稲荷神社から乙津寺へ繋がる道はカギ道で見通しが非常に悪く、ここに城砦があったことをかすかに感じることができる地形が残っています。

管理人は岐阜駅からレンタサイクル(2016年12月現在で1回100円)で岐阜市内の他の城を含め散策してみました。少し岐阜駅からだと距離はありますが、体力に自信のある城ファンの方向けにはオススメします。

所在地

岐阜県岐阜市鏡島

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線内回り 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~名古屋駅 料金 片道10,890円 所要時間 約1時間37分ほど
【JR在来線】JR東海道本線 名古屋駅~西岐阜駅 料金 片道580円 所要時間 約27分ほど
【入館料】0円

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