「功名が辻」ゆかりの東海の名城
掛川城に初め訪問したのは、城巡りを始めたばかりの2009年の夏。
当時は東京在住で京都へ帰省する際に、青春18切符で立ち寄った記憶があります。当時はまだ城といわれてもピンときていませんでしたので掛川城も見落とした箇所がいくつもあったので、2015年8月に久しぶりに再訪問してきました。
築城されたのは永正2(1505)年~同9(1512)年頃と考えられています。城主の今川氏の家臣・朝比奈泰能(やすよし)が居城とし始めたのは同10(1513)年とされています。
もともと文明年間(1469~87)にすぐ近くの現在龍華院がある山に泰能の父・泰煕(やすひろ)が初代の掛川城を築城していますので、歴史はその頃から始まっています。
時が流れた永禄3(1560)年、この頃すでに斯波氏に代わり、尾張で新興大名として産声をあげていたのが織田信長。この信長を討つべく今川義元の「桶狭間の戦い」が起こり、ご存知信長が勝利。その際にはすでに泰能は死去。3年前に他界しており、泰朝(やすとも)が朝比奈氏の跡を継いでいました。
義元亡き今川氏の跡をつぐ氏真(うじざね)は永禄11(1568)年に武田信玄によって駿府城を追われ、泰朝を頼り掛川城に入城。
しかし同年後半にはかつては今川氏の家臣であった徳川家康に攻められ、翌(1569)年に開城。
ここに今川氏・朝比奈氏による掛川統治は終わります。ちなみに氏真はその後、後北条氏を頼り現在の東京都品川駅付近に落ち延びることになります。朝比奈泰朝のその後は歴史の表舞台からは姿を消し、消息は不明になったそうです。
その後、天正18(1590)年、小田原征伐が起こり、豊臣秀吉家臣となる徳川家康は関東へ移封。代わって秀吉麾下の大名だった山内一豊が入城。この頃、戦国時代の山城の様相だった掛川城を近世城郭へと改修していったとされます。
徳川の備えの意味もあり修築中だった掛川城は、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで、東軍についた一豊は戦後土佐に20万石の太守として移封。掛川城は一旦、家康の異父弟であった松平定勝が3万石で入城。
しかし慶長12(1607)年に伏見城代として移動すると、その後、城主家は確立せず、様々な氏族が城主を務めます。
落ち着きを見せるのは延享3(1746)年に館林城から移封してきた太田資俊(太田道灌の太田氏につながるかは不明だそうです)以降は、幕末の慶応4(1868)年に上総芝山に国替えとなっているが、同年9月には明治に改元されているので、また江戸城無血開城(4月)の後ですので、明治維新までは太田氏が統治したことになります。
日本100名城の一つでもある掛川城は二の丸御殿が現存建築物として残っています。
安政元(1854)年の大地震で倒壊した後、再建された物が今に残っています。
一方天守閣はその震災で倒壊後、再建はされずに近年木造により復元された天守です。
二の丸御殿が残っているのは、全国でもほかには京都の二条城だけという歴史的価値が評価されているのは間違いありませんが、現在の掛川城は100名城としてはやや物足りなさを感じてしまいます。
それでも冒頭に触れた龍華院の掛川古城や、現在大手駐車場などとされている付近に再現されている大手門など一帯を散策すると、かなりの広範囲になりますので、時間には余裕を持って回られることをオススメします。
あと気になったのは三日月堀が再現されているのですが、武田と何か関係するのでしょうか。
掛川城、掛川古城ともに新幹線停車駅の平山城といってもアスファルト補整されている箇所も多く、季節問わずに気軽に訪問することが出来る城跡です。
所在地
静岡県掛川市掛川
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線こだま 品川駅~掛川駅 料金 片道7,860円 所要時間 約1時間38分ほど
【入館料】天守閣(御殿含む) 大人410円 小・中学生150円